もう一人の王子様

アイドル世界線、紅死後の縫ちゃんのお話。
かみさまの遺言とリンクする部分があり、一応ユキちゃんも出てきますが、基本的に縫×仁亜でがっつりNLです。
何があろうとただ凪のようにそこに存在する男、それが朔宮影縫。そして何も言わずに溜め込みがちな縫ちゃんの支えに、仁亜ちゃんがなってたらいいな。
歌番組の収録を終え、セットの裏側に戻ったところで、目の前のユキがぐらりと均衡を崩した。
「ッ!」
数歩後ろを歩いていた影縫は慌てて駆け寄り、その体を支えた。
「……どうした。大丈夫か?」
「あ……うん。へーき、へーき……ちょっと眩暈しただけ」
影縫を安心させるように笑顔を作るユキであるが、間近で見る肌はいつにも増して色が白い、というよりは青白くて、ここ数日でまた少し線が細くなったように思えた。今しがたまで完璧にパフォーマンスをこなしていた事実が、もはや痛々しくすら感じるほどに。
(俺に、出来る事があれば)
影縫の心の中に、何度も言いかけて結局声にならなかった言葉がまた浮かぶ。
(出来る事があれば、言って欲しい……)
しかし、今回もまた唇の内側を噛み締め言葉を殺す。そんな事を言った所で「自分に今できる事は何もない」と、影縫の中でとうに答えが出ているからだ。
ユキとの十年以上の歳月は何だったのだろうか。自分はその中で一体何を培ったのだろうか。相棒として傍にいたのに。ずっと傍にいたのに。ユキの事を一番深く知っているのは自分だという自負はあるのに。何故こんな時に限って何もさせては貰えないのだろうか。
「ユキ、とりあえず横になれる所に行こう」
だけどそんな気持ちはおくびにも出さず、ユキの体を支えてやる。申し訳なさそうに笑ったユキが、せめて重みを預けてくれる事にほっとした。
ちょうどテレビ局近くで仕事をしていた空にユキを任せて事務所に帰り、影縫は一人自販機横の長椅子に座っていた。
空とユキが何をしているかなんて、わざわざ言われなくても分かっている。根本的な解決にはなっていない事も。心配や、嫉妬のようなものを感じないわけではないが、自分がそれを言ったところでどうしようもないのだという事も分かっている。
……今の自分は、何も出来ない事だらけだ。
(俺が紅を演じられたら良かったのにな)
演技にはそれなりに自信もキャリアもあるというのに、どう足掻いたところであの輝きだけは身に宿せないのだと悟った時に、初めて空の血が羨ましいと思った。「釈紅輝」なるほど確かに、ヤツに似合いの戒名だ。
空のように直接的にユキの力になる事は、今の自分には出来ない。じゃあ自分がやれる事は何だろうと、ずっと考えていた。
そんな影縫に足音が近づいてきた。わざわざそちらを見ずとも正体が分かる影縫は、相変わらず宙を眺めているだけだ。
「お疲れ」
「……ん」
椅子の隣が軋み、視界にホットコーヒーが割り込んで来る。それを受け取りちらりと目線を動かせば、予想通りマネージャーの……恋人の仁亜の姿があった。
プルタブを捻り缶を傾ける。苦味が舌の上を滑り、コーヒーの香りが鼻腔を抜けていく。胃に落ちていく温かさにほっと息が漏れる。
「ユキは?」
隣で同じくコーヒーのプルタブを捻った仁亜が問いかけた。
「……今は空と一緒に居る」
「……そ。ま、一人じゃないならいいわ」
一人にするには危なっかしい。その仁亜の考えは影縫との共通認識だった。気づけば二人で口裏を合わせ、ユキが一人きりになる時間を極力減らそうとしている。もしかしてそれが心配のしすぎなのか、かえってユキの心の整理を遅らせてしまっているのか、分からない。分からないが、取り返しのつかない事になってから後悔するのはきっと耐えられない。
しばらく二人の間に沈黙の時間が流れた。仁亜はちびりちびりとコーヒーを舐め、影縫は最初口にしたっきり、カップの温もりで手のひらを温めている。
「……ユキにはまだ話してないけど……しばらくリバースの活動を休止しようと思ってる」
先に口を開いたのは影縫だった。さらりと告げられた内容はなかなかに重大なものだったが、仁亜はさして驚いた様子も動揺した様子も見せなかった。
「……そう、か。休止……うん、そうよね。あたしもその方がいいじゃないかなって、ちょっと思ってた」
影縫の言葉を噛み砕くように繰り返し、そっと瞼を下ろす。
「解散はしない。それはユキの本意じゃないと思う。とにかく気持ちが落ち着くまではユキを休ませた方がいい。その間に、俺一人で出来る芸能活動は続ける。ユキが戻れる場所は守っておきたい」
ただし、その後に続いた提案は予想外のものだったらしい。仁亜が驚いた様子を見せた。何せ影縫はそもそも表舞台に立つ事が嫌いな性分だ。グループ活動を休止するのであれば、それは影縫の活動休止とも同義だと仁亜は思っていた。
「え……大丈夫、なの? ユキ居ないのよ? あんた一人で出来る……?」
「何だと思われてるんだ俺は。ユキと二人でするパフォーマンスは出来ないけど、俺のソロ曲とか芝居とか、出来る事はあるだろ」
子供相手のように心配してくるマネージャーに対し、影縫が嘆息をもらす。
「もう何年ビジネス王子様やってると思ってるんだ。一人になったところで今更だ」
次いで吐かれた肝の座った一言。これには仁亜も思わず吹き出してしまった。
「何ならもう王子って年でもないけどね」
「本当にな。俺達いつまで王子やってればいいんだか」
「何なら活動再開と同時に方向性変えちゃう?」
「それもいいな。空に打診すれば簡単に通りそうだ」
二人で軽口を言い合っていると、先ほどまでの重苦しい場の空気が幾分か和らいでいく。この現状を時が打破してくれて、元気になったユキと一緒に再出発できる日が来るんじゃないかと、そんな自分達の姿がちらりと影縫の脳裏を過った。
「……そうなったら、俺達の関係もいい加減公表してもいいかもな」
と、軽くなった空気に押されたのか、ついうっかりとそんな言葉が口から滑り落ちた。別に今言おうとしていたわけではないが、前々から考えてはいた事だ。隣を流し見ると、仁亜は口を半開きにして目を丸くしている。
「え、と……あんたと、アタシ、って事よね?」
「それ以外にないだろ」
「……アイドルとしてのブランドイメージ……」
「空だって妃との事公表した。俺がダメな道理はない」
「……まぁ、あそこは正直皆さま薄々感づいてましたみたいなリアクションではあったけどね……」
公表したところで「知ってた」「やっぱりね」という反応が大半だった、空と妃の交際宣言を思い返す仁亜。
「さすがに俺としても、そろそろけじめくらいは付けたいし……」
基本的に人の目を正面から見てしっかりと話すタイプではないのだが、今はいつにもまして伏目がちで居心地が悪そうだ。それは長年連れ添った肌感のようなものである。仁亜がにんまりと口角を持ち上げた。
「へぇ~? あんたにも一応そういう思考回路はあるんだ?」
「だから何だと思われてるんだ俺は」
突然の爆弾に驚きはしたものの、じわじわと喜びが込み上げてくる仁亜。思えば最近ユキの事をはじめ心労に次ぐ心労で、こんなに嬉しい気分になったのは久しぶりかもしれない。どうせなので、もう少しだけ影縫の事を突っついてみたくなったり。
「で、けじめって何?」
「……分かるだろ」
「分かんない。何?」
「だから……ああもう。結婚、って事!」
吐き出すような口調で核心を突き、いよいよ影縫が立ち上がった。
「どこ行くの?」
「煙草」
「ちょっともぉ~、いい加減やめなさいって紅が何でくたばったと思ってんの?」
「別にいいだろ週に一本も吸わないんだから」
確かに影縫はニコチンに依存しているというよりは、喫煙という行為を場面転換の手段として利用している。考え事をしたい時や心がままならなくなった時、一番軽いヤツをちょっとふかす程度。今だったら、一世一代の告白に対する気恥ずかしさから逃げる目的で。
「ねぇ、指輪はハリーウィンストンがいい。あんたどうせソシャゲの課金くらいにしか使わないでしょ? 溜め込んでないでドーンと奮発しなさい」
「……調子良すぎ」
背中に声をかけ、それに対して素っ気ない返事と共に足音が遠ざかっていき、だけどこの後ハリーウィンストンの何たるかをしっかり検索する影縫の姿が手に取るように分かってしまって、仁亜はふふ、と頬を綻ばせた。
