小説

それでも生きていく Ver.月影

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 夏の暑さも徐々に和らぎ、過ごしやすくなった晴天の日。
 瑞々しい草花が太陽の光を受けて輝き、カーテンを揺らす風はお日様の匂いを連れてくる。そんな爽やかな午後の時、小さな結婚式場の一室に、月影と武蔵が控えていた。
「実は私、この服着るの初めてなんです」
 椅子に腰を下ろす月影は、真っ白なタキシードに身を包んでいた。そして、隣に立つ武蔵も、それと揃いの花婿衣装だ。月影の言葉を聞いて、武蔵が驚いた様子を見せる。
「華菜さんと結婚式、挙げなかったんすか?」
「ええ。日本に帰ってすぐに影縫が生まれてなかなか時間も取れませんでしたし、華菜さんがそういうのにこだわらない人で。……でも、私は華菜さんのドレス姿が見たかったので、写真だけは撮って貰ったんですけどね」
「月影さんは?」
「私はいいんですよ。そんなの。当時は写真も苦手でしたし」
「そんな事言ってる奴が今じゃ写真撮りまくってんだから、人生って分かんねぇよな」
「ふふ。本当にね」
 月影が穏やかに笑った所で、ノックの音が響いた。
「やっほー! ごりょうに~~~ん!」
 入室してきたのは、ライトブルーのワンピースを着こなす仁亜と、チェック柄の子供用スーツでめかし込んでいる夜風、そしてその後ろに、ネイビーのスリーピーススーツ姿の影縫だ。仁亜の足元で、夜風がぱっと目を輝かせた。
「じいじカッコイイ!! むさしくんもカッコイイ!!」
 興奮した様子で二人に駆け寄る小さな体。足元にじゃれついてくる孫息子を、月影が膝に抱き上げる。
「ありがとう。夜風君もおめかししてカッコイイよ」
「似合ってんじゃ~ん。こりゃ女の子がほっとかねぇなぁ」
「むふふ~~~~♡」
 大好きな二人に褒められた夜風は、丸い頬を高揚させてご満悦の様子である。そんな彼の後ろから、影縫が静かに歩を進めてきた。
「母さんも、連れてきたから」
 鞄から大切そうに取り出したのは、普段は仏壇に飾られている華菜の写真だった。思いもよらぬものの登場に月影の目が丸くなり、それから一瞬唇を結び、ほんの少し涙の膜が張ったようにも見える表情で、そっと写真に指先を滑らせた。
「……驚いた。私が家を出る前はあったのに」
 仁亜が、ふふと笑って夫を小突く。
「縫がね、どうしてもって」
 らしくない自分の行動に対する照れもあるのだろう、少々居心地悪そうに視線を床に落とす影縫。
「きっと母さんも、見たかったと思うから……」
 そして控えめに口火を切る。
「母さんも、きっとすごく父さんの事好きだった。ああいう性格だから、分かりやすく口には出さなかったかもしれないけど……きっとその服着て欲しかったと思うし、一緒に写真撮りたかったと思う。だから、連れてきた」
 それは、月影と華菜の事を一番近くで見てきたからこそ言える言葉だった。なんと粋な計らいだろうか。感動のあまり何も言えなくなってしまった月影へと、影縫の瞳が向けられる。
 華菜と瓜二つの、アーモンド形の綺麗な目だ。
「結婚、おめでとう」
 月影にそう言って、それから武蔵の方へと。
「……父さんの事、よろしく頼む」
 いつもの眠たげな目ではない、真摯な視線に、武蔵はただ黙って頷き返す事で答えた。任せておけ、と。
「よーし、じゃあ華菜さんと月影さんのツーショット撮っとこっか!」
「え? 私だけですか? 武蔵君も……」
「冗談。夫婦水入らずの写真に部外者が入れるかよ」
「夜風も、こっちおいで」
「ウン」
 大切な話をしていると分かるのだろう。夜風は特にダダもこねず、大人しく影縫の腕に抱き上げられた。
「わ~美男美女! やっぱ絵になるわ~!」
「お、いいな。折角だから俺も撮っとこ。影縫は撮らねぇの?」
「俺はいい。仁亜に貰う」
 スマートフォンを取り出して撮影会を始める仁亜と武蔵の邪魔にならぬよう、影縫は息子と共に少し離れた位置に控える事にした。
「あの人、だあれ?」
 影縫の腕の中から三人の様子を眺めていた夜風が、不思議そうに父親に問いかける。
「夜風のおばちゃん」
「おばあちゃん? ばあば?」
「うん、そう」
「でもおねえさんだよ?」
「死んじゃったからな。まだお姉さんだった時に」
「ふうん……」
 分かっているのか、いないのか、といった返事を返す夜風。
「じいじの好きな人なの?」
「うん、そうだよ」
「むさしくんよりも?」
「……さあ、どうだろうな」
 答えに困る質問に、影縫が苦笑する。またも夜風は、「ふうん」と一言。丸くて大きな瞳には、僅かばかり頬を高揚させ、はにかんで笑う月影の姿が映し出されている。
 こてん。夜風が影縫の肩口に頭を押し付けた。
「よく分かんないけど……じいじがうれしそうだから、おれもうれしい」
「……うん。お父さんも」
 息子の頭に頬を寄せ、影縫もまた、その言葉に同意した。
 こんこん。そこで再びノックの音が響く。控えめに顔を覗かせたのは、ウエディングプランナーの女性である。いまだ浸透しているとは言い難い同性同士の結婚式を快く引き受けて、誰よりも意気込んで準備を進めてくれた恩人だ。
「失礼いたします。そろそろお時間ですので……」
「あっ、もうそんな時間!? すみません!」
 時間を告げられ、慌てて撮影会を切り上げる仁亜。影縫も月影から華菜の写真を受け取って、出口へと向かっていく。
「じゃああたしたちは先に行ってまーす!」
「じいじ、またあとでね」
「うん。すぐ行くからね」
 手を振る仁亜と夜風、そして静かな影縫の三人を見送った後、再度女性が室内に目くばせした。
「では、新郎様も」
「行きましょっか」
 武蔵が差し出した手のひらに、自分のそれを重ね合わせ、月影が立ち上がる。そして、二人の後に続いて、部屋から出ていこうとした所で……
 ふと、背後に温かな気配を感じた。
「……?」
 振り返ると、今しがたまで月影が座っていた椅子には、何と華菜が腰かけていた。だが、不思議と驚きも、もちろん恐怖も感じなかった。月影と目があった彼女は、見つかってしまったとばかりに、肩をすくめ、おどけた表情でちらりと舌を覗かせた。
『いい顔してるよ、月』
 椅子の背に腕を乗せてしな垂れ、まじまじと月影を眺め
『……似合ってる』
 ほんの少し上気した顔で、うっとりと微笑んだ。
『おめでとう。お幸せにな』
 そしてまるで自分自身に幸福が訪れたかのように、満面の笑みで、そう言ったのだった。
 月影が、感慨深げに目を細め、口元を綻ばせる。照れくさそうに一度床に視線を落とし、それからまた顔を上げ、華菜に向かってひらひらと手を振った。
(ありがとう)
 華菜と同じ、満面の笑顔で。

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