小説

Flower sickness

letm_official
健全/BL/守屋武蔵×朔宮月影

月影さんへの気持ちをハッキリと自覚出来ぬまま、花吐き病にかかってしまう武蔵君のお話です。月影さんの事が好きすぎて涙ぐみながらオエオエ花を吐き続ける武蔵君…えっちだ…。関係が落ち着いた後の二人も好きだけど、武蔵君が気持ちを飲み込んでこじらせている時期のこの二人も大好きです。

 今日はどうも胸の辺りがむかむかする日だった。
 
 ちなみに言うと、機嫌が悪くてなる類のものではなく、嘔吐感の方だ。機嫌は別に悪く無い。いや、悪く無かったはずなのに、具合が悪いせいで、仕事が終わる頃には機嫌まで少し悪くなっていた。何なんだ。別に吐き気がするような心当たりはねぇぞ。昨日酒飲んだワケでもねぇし、風邪引いただの腹下しただのの覚えもねぇぞ。乗り物酔いも有りえねぇ。俺の三半規管ナメんな。
 
 警護の仕事中は、まだ見て見ぬフリを出来るくらいの違和感だった。でも、さあ空港から帰るぞって、月影さんの背中をぼんやり眺めつつ数歩後ろを歩いている時になって、いきなり来た。
 
「ッ……!!」
 
 一気にせり上がって来る耐え切れないくらいの吐き気に、口元を覆ってその場にしゃがみ込む。ダメだ。吐く。
 
「ど……どうした!?」
 
 俺の少し後ろを歩いていた紬が必然的にすぐ気付いたようで、慌てた声が聞こえた。最悪だ。こんな大衆のド真ん中で、吐く所なんて見られたくないし、誰も見たくもないだろう。盛大に咳き込みながらそう思った。
 だけど、口の中に胃液の味はしなかったし、そもそも俺の口から出てきたのは胃の中身でもなかった。
 
 口の中に、噎せ返るくらいの甘ったるい匂いが広がって、軽くて薄い花びらが、ばらばらと床に吐き出される。
 ……は?
 
 当然、俺は理解出来ずに固まった。人間予想外の事が起こりすぎると、取りあえず周囲の人間に説明を求めて視線を流してしまうモンらしい。顔を上げて紬、そしていつのまにか俺の傍に来ていた月影さんの事を見る。
 二人共、俺と同じように、呆気にとられた顔をしていた。
 
「……いや……手品の披露なら他所でやってくんね……?」
「手品じゃねぇッ!!」
 
 そんな中、最初に言葉を発したのは紬だった。反射的に返した俺の口から、またぽろりと花びらが一枚零れた。
 
 

 
 嘔吐中枢花被性疾患
 
 あの後、紬からさんざ
 いやいや手品以外の何物でもないだろ。何? サプライズのつもり? ないわー、仕事中に遊んでるとか、マジないわー。つか、手品だったとしてもお前にソレは似合わないからな? 大人しく万国旗でも出してろ。
 なんてボロッカスに言われ、最終的にもう手品でいいですと理解を求める事を諦めた俺は、帰るその足で病院に駆け込んだ。
 そして、言った所で信じてもらえるんだろうかとか、人間の口から花が出てくるなんて、これまで見た事も聞いた事も無いとか、そもそも物理的に説明出来なくね? とか、色んな不安を抱えながら診察を受けた結果、俺に与えられた診断名が、ソレだった。
 
 おうとちゅうすうかひせい……疾患?
 
「俗には、花吐き病って言われてるんだけどね」
 
 俗称すらあったーーー!!
 さらりと言ってきた医者に、現代医学の見分の深さを思い知った。きっと世界には、俺には見た事も聞いた事もなく、想像も出来ないような難病奇病がごろっごろ転がっていて、医学界は日々それの研究に明け暮れているのだろう。頭が下がる心持だ。
 
「……で、結局何が起こってこうなる病気なんすか?薬とかで治るんですか?」
 
 でも、俺が今知りたいのは病名でもその俗称でもなく、治し方だ。口からボロッボロ花びらが出てくるなんて明らかに普通の状態じゃない。それに、花びらって言えば普通に吐くよりまだ綺麗な感じはするけど、吐き気がする事も口から物出してる事実も変わらないワケだ。今は落ち着いてるけど、この先もあの空港の時みたいな調子だと、仕事にも日常生活にも支障をきたす。
 
 しかし、俺の質問に対して、医者は難しそうな顔をした。
 
「……実はね……花吐き病に有効な治療薬は、現在もまだ開発されていないんだ」
 
 そして、にわかには信じがたい事実を口にした。
 
「は?」
 
 思わず眉を顰めて聞き返すと、目の前の肩がびくりとすくんだ。顔立ちが鋭い自覚はある。どうやら意図せず威圧感が滲んでしまっていたらしい。大丈夫です。怒ってません。
 
「でも、治す方法はあるから!」
 
 弁明するように慌ててそう言われ、ほっと胸を撫で下ろす。
 
「その前に一つ聞きたいんだけど……君は今、誰かに片思いをしているね? それも、拗らせるぐらい強烈なヤツを」
「……はぁ!?」
 
 病気の事を説明して欲しいのに、いきなり真剣な顔で訳の分からない事を探ってきた医者に、今度こそ明確に怒りを込めて返した。だが今度はといえば、医者の野郎はひるまずに俺を眺めている。一体なんだっていうんだ。
 
「してねぇ」
 
 教えてやる義理なんてないからそう答えた。しかし向こうからは「そんなはずはない」という否定の言葉が返ってきた。
 
「まずはそれを自覚しないと、花吐き病は治らないよ。これは、強い恋心を抱き続けた人がかかる病気だから」
 
 ……何を言っているんだコイツは。と思った。もしかして俺はからかわれてんのか? それとも夢でも見てんのか? 非現実的すぎて頭がついていかない。
 そこで看護師が、一冊の本を持って診察室に入ってきた。それを医者に渡すと、何も言わずに出て行ってしまう。
 医者は、あるページを開いて俺に見せてきた。
 
 そこには、今まさに俺がかかっているらしい、花吐き病の症状と治療方法が記されていた。
 
 

 
 会計を済ませて病院を出て、色々と混乱している頭を鎮めるためにも、少し遠回りの道を歩いて駐車場へ向かっていた。
 
 
 嘔吐中枢花被性疾患
 通称、花吐き病
 
 遥か昔から潜伏と流行を繰り返して来た病
 片思いを拗らせると口から花を吐き出すようになる。それ以外の症状は確認されていない
 吐き出された花に接触すると感染する
 根本的な治療法は未だ見つかっていない。ただし両想いになると、白銀の百合を吐き出して完治する
 
 
 花吐き病について記されていた文章量は、たったそれだけだった。
 
 空港で吐いた時、誰も花に触ってなかったのが幸いだ。感染症だったなんて、誰が思うかこんなもん。これから花を吐く事があれば、後始末だけはキッチリやっとこう。
 
「こんなの、女子供がかかるような病気じゃねぇの……?」
 
 それにしてもこの病気、あまりにもメルヘンでファンタジーすぎる。つまり恋の病って事か? どっちにしろ、三十手前の野郎には不釣り合いな病気だ。自分で自分に寒気がするレベルだ。
 
 胸を摩ってみる。あの強烈な吐き気が、今は嘘のように落ち着いていた。もしかして、あれは夢か何かだったんじゃないかとすら思う。
 
 でも……
 心当たりが、全く無いワケでは、なかった。
 
 突然だが、現在俺には、定期的にセックスしている相手がいる。
 ソイツは俺の上司で、男だ。ちなみに俺のメンツのために言っておくが、俺が抱く側だ。
 
 ソイツは一般人にあるまじきレベルの美形で、昔から男にも女にもモテるようなヤツだったらしいが、奥さんを事故で亡くしてからというもの、その喪失感を埋めるために野郎とのセックスにドハマリして、とっかえひっかえしてるっていう、字面だけ見ればかなりのビッチだ。
 でもそんなビッチであれ、俺は昔からその人の事を尊敬してきたし、憧れてきた。その人の爛れた性事情なんて知りもしない時期から大好きだった。ただそれは性欲の対象ではなく、純粋にその人が、同じ男として、カッコよかったからだ。
 
 何とかその人と一緒に仕事をしたいがために、その人が苦手な射撃の腕をとにかく磨き、同じくその人が得意でない上使用人口が多いという理由のみで中国語もマスターした。そして嫌がられようが拒否されようがストーカーの如く毎日毎日追い回し、一緒に仕事をさせてくれと頼み込み続けた。結果、まんまと直属の部下のポジションを手に入れた。自分の執念と心の強さに拍手を送りたい。
 
 その後、どうしても上司部下の関係が密になるというこの仕事の特性上、その人が付き合っている訳でも無い不特定多数の野郎とヤりまくってる事実を知った。元々野郎に変な手つきで触れられているのを何度となく見てその度に「ん?」と思ってはいたが、実際事実を突きつけられると胸糞悪すぎてどうにかなるんじゃないかと思った。
 
 あの人が、ただ性処理出来ればいいと思ってるようなヤツに抱かれてるっていうのが、腹立たしくて仕方なかった。
 そんな野郎に、あの人はふさわしくない。そんな野郎の性処理に使われていいような人じゃない。どこの馬の骨とも知らないような男が、俺の憧れの人を好き勝手してんじゃねぇ。
 俺なら、もっと大事にしてやれる。俺なら、あの人の事を丸ごと理解してやれる。だったら、これからは俺が面倒を見てやればいい。だって俺はあの人の事が大好きだ。隙間風しのげりゃ誰でもいいんなら、そういうヤツに抱かれた方が、あの人だって幸せに決まってる。
 
 そう思って半ば無理矢理、俺意外と寝るなという約束を取り付けた。最初は部下相手にそんな事は出来ないだの何だの口うるせぇ事言ってはいたが、口説き落とした挙句何回か気持ちよくしてやったらあの人も大人しく股を開くようになった。そして、今に至る。
 
 ちなみに、そう、相手は月影さんだ。
 
「ケホッ……」
 
 頭の中で月影さんの名前を思い浮かべた途端、小さく咽た。舌の上に何かが乗っている感触がある。取り出してみると案の定、花だった。
 確定だ。言い逃れが出来ない。認めたくないが、そういう事のようだ。
 
 桜みたいな小ぶりの、だけど桜よりも色の濃い花だ。確か空港で吐いた時は、濃いピンク色の大きな花びらだったはずだ。その時々で吐く花が変わるモンなのか。
 こじらせる程好きなヤツが居なけりゃ何の害もないのだが、一応感染症ではある。責任もって始末するためそれをポケットに仕舞った。
 
 最初は純然たる憧れだった。
 仕事をしている月影さんが、他とは一線を画す存在感が、そして口から出る言葉の一つ一つが、格好良かった。だから追いかけた。それがいつどのタイミングで惚れた腫れたに切り替わったかなんて、自分でもよく分からない。
 だけど、成人するかしないかの辺りから、ずっとあの人を追いかけ続けてきた事は事実だ。そして今ではなんやかんや理由をつけてセックスまでする関係に持ち込み、挙句自分以外と寝ないようにと約束させているのも事実だ。
 
 拗らせる程の片思い、という表現も、成程、言い得て妙だなと思った。
 
 

 
「おっ、エセマジシャンじゃねぇか」
 
 会社で紬と顔を合わせると、いの一番にニヤつきながらからかわれた。サクッと脳天撃ちぬこうかとも思ったが、生憎出勤直後で手元に銃が無かったため未遂に終わる。
 それに、相変わらずあれが変な手品だと勘違いされている事に関しては、今はむしろ好都合だった。
 
 元々ほぼ認知されていない病気なのだ。
 だったら、手品だと思われたままでいい。俺はそう結論付けた。
 
 完治の方法は両想いになって白銀の百合を吐く事?
 声を大にして言おう。そんな事は有りえない。
 あの人が心の中でずっと思い続けている人間は、この先一生変わる事はない。だから俺が本当の意味で月影さんに思われるなんて、天変地異が起こるレベルで有りえない。
 
 俺は、亡くなった奥さんをそれでも後生大事に想い続けている月影さんが好きだ。それも含めてあの人はあの人だと思っている。むしろあの人が、気持ちをいとも簡単にコロリと捨ててしまえるような男であったなら、俺は花を吐くまで拗らせてなどいなかっただろう。
 月影さんが月影さんである以上、俺は百合を吐く事なんて無い。
 
 だから、この先もずっと、せいぜいみじめったらしく花を吐き続ければいいと思う。
 えづき続ける苦痛に耐えかねて、そのうち諦めがつくだろう。ああ、無理なんだと、心の底から認めて腑に落ちる時が来るだろう。今はまだ、もしかしたらあの人に見て貰えるんじゃないかって、そんな希望に縋っているだけだ。
 
 直属の部下になって、思う存分隣に居られて、挙句セックスまでするようになった。上等だ。それで十分だ。これ以上欲を出すなっつー、目に見えない何かからの当てつけだ。
 
 腑に落とせば、終わる。
 
 

 
 が、そんな決意をローキックで根本から刈り取る程、容赦なくポロポロ花は零れてきやがった。
 
 出勤してきた月影さんに朝の挨拶をした途端ものすごく気持ち悪くなったので、とりあえず廊下で吐いた。
 
 その後オフィスに戻って、事務仕事を始めたが、どうも俺は月影さんを目で追ってしまうクセがあるらしい。書類を眺めている月影さんを自分が眺めていると自覚した瞬間に、口の中に数枚の花びらが戻された。慌てて掌に花を出し、秘密裏に処理した。ちなみにこの一連の流れを、午前のうちに五回繰り返した。
 
 昼食はいつも基本的に三人で食べているが、そんな事をしたら花どころか食べているものすら吐き気につられて戻してしまいそうだったから、外に食べに出た。その際心配そうにこちらを気遣ってきた月影さんのせいで嘔吐感が上がってきたので、すごく慌てて外に出た。もちろん吐いた。
 
 午後はビデオ通話でクライアントと会議だった。会議中はそちらに集中してしまうので何事も無いかと思ったが、仕事スイッチが入った月影さんが格好良すぎるせいでずっと胸が悪かった。途中あまりに耐え切れなくなり、一度トイレに立たせて貰った。
 
「……妊婦じゃねぇんだぞ!!」
 
 現在、通話会議が終わってロッカールーム。今しがた自分の吐いた花を眺めて、思わずロッカーを叩きつけた。
 
 いくら何でも吐きすぎだ。悪阻中の妊婦ってこんな思いをしてるんだろうか。とにかくずっと気持ち悪い。月影さんが傍に居るだけで気持ち悪い。傍に居るだけで気持ち悪いのだから、言葉を交わしたり顔を見たりするとどうあがいてもそれ以上のもんが上がって来る。というよりこれ、生理的に受け付けないレベルで嫌悪感を抱いている相手への文句みたいになってる。月影さん、なんかごめん。
 
 こんなの仕事に支障をきたしまくる。事務仕事中はまだいいとしても、こんな状態で警護仕事なんて全う出来る自信がない。だってアレだぞ。月影さんの真骨頂はむしろそっちだぞ。警護仕事中の月影さんなんて、恰好良すぎて男でも普通に腰砕けするレベルだ。判断の冷静さとか頭の回転の速さとか有事の時の動きとか、それを目の当たりにする度に俺は周囲をお花畑にするぐらい吐き散らかさなきゃならなくなる。絶対耐えられないし、隠し通す事も出来ない。
 
 こんなフワッフワしたファンシーな病気のくせして、まさかここまでダメージを与えてくるなんて、思ってもみなかった。花吐き病、恐るべし。
 
 どうする? どうする? どうすればいい? ぐるぐると、頭の中で答えの出ない問いを繰り返していると、遠慮がちなノックの音が響いた。
 大慌てで先程吐いた花をひとまず自分のロッカーに押し込んだと同時に、扉が開く。入ってきたのは、よりにもよって、今一番会いたくない月影さんだった。
 最悪だ。わざとかぶらないように時間をずらしたのに、何で。
 
 だけど、何でも何も考える前に、当然のごとく吐き気は湧いて出た。ダメだ。紬のバカは手品だと思い込んでたけど、月影さんは昨日の空港の時点でかなり怪訝そうな顔をしていた。ここで花を吐いたら間違いなく何があったのだと詰め寄られる。
 
「お疲れ様です!」
 
 そう言って、自分の荷物を引っ手繰り、急いでロッカールームを出ようとした。が、月影さんの脇を通り抜けようとした際に、無言で腕を掴まれる。
 驚いて思わず横目で月影さんを流し見た。すると月影さんの深紫色の瞳と目が合った。ああ、きれいな色だな。そう思った瞬間、もうダメだった。
 
「ッ……ゲホッ……!!」
 
 急激に花が上がって来る感覚に、成す術なくその場に座り込む。ぼろぼろと、口から大量に、薄紅色の小さな花が吐き出される。
 やばい。早く止めないと、手品じゃ言い訳つかないぐらいの量出てる。嘔吐感が気持ち悪くて、どんどん出てくる花のせいで苦しくて、生理的な涙まで滲んで来た。
 
 だけど、もはや俺の意思ではどうにもならなくて、俺は月影さんの見てる目の前で、周囲が散らかる程の量の花を吐き出した。それを、月影さんは、何を言う訳でもなくずっと眺めていた。
 
「……花吐き病……」
 
 そして、ようやく俺が落ち着くと、ぽつりとそう言った。
 驚いて月影さんを見上げる。ばっちり目が合い、しかも俺の目線に合わせるようにしゃがみ込んで来たが、今散々吐き散らかしたばかりだからだろうか。そうされても、吐き気はひとまずナリを潜めていた。
 
「知ってるんすか……?」
「ええ、まあ。前に知る機会があって」
 
 月影さんの指が花に伸びる。ハッとして止めようとしたが、「ダメだ!」と言葉に出して手を伸ばした頃には、月影さんは花びらを拾い上げていた。
 
「これ、ハナミズキですね」
「ちょっ……どうんだよ! 俺が吐いたのに触ったら感染るんだぞ!?」
「昨日君が空港で吐いたのは、ブーゲンビリアの花弁です」
「おい! 感染るって言ってんだろうが!」
「大丈夫ですよ。私、片思い拗らせてませんから」
「……っ……」
 
 この人、全部知ってんだ。花吐き病の事も、それがどんな病気かも。
 同時に、月影さんが花を摘まみ上げている手の、薬指の根元に目が行った。そこには相も変わらず、鈍い輝きを放つ指輪が嵌っている。ずっと、ずっと、見慣れた光景だ。出会ってから今まで、ずっと。
 
 そりゃそうだ。この人には感染らない。この人は世界で一番大好きな人と両想いになって、そして、その相手は両想いのまま、手の届かない所に行ってしまったんだ。月影さんの気持ちを、全部自分のものにしたまま。
 
「ケホッ……」
 
 また一つ咳き込んだ。オレンジ色で、細長い、一見花弁とは思えない花がぽろりと吐き出された。
 床に落ちたそれを眺め、「トリトマ」と、月影さんが呟く。そのあと、またゆっくりと俺に視線を戻してくる。
 真正面から、真顔のまま見つめられる。同じ男だというのに、それでも思わず息を飲まずにはいられない程きれいな顔立ちだ。半開きの唇が、すっと、空気を吸い込んだ。
 
「あなたしか見えない」
 
 そして次に継がれた言葉に、息が詰まった。
 ちょっと考えてみて欲しい。こんな美形に、花持ちながらそんな事言われたら、女は当然の事ながら、男でもちょっとクラッとする。しかも俺は、こんな病気になってしまう程、この人への想いを拗らせているワケで
 ……と、いうよりも……今の言葉って……
 
「……ブーゲンビリアの花言葉です」
 
 俺の頭が何か考え始める前に、月影さんが言葉を次いだ。
 
「ハナミズキは、私の想いを受け止めて」
 
 ぽとり。手で摘まんでいた花が落とされる。
 
「トリトマは、切実な想い。恋する胸の痛み」
 
 そしてさらに、今しがたの細長い花弁に視線を移して、そう言った。
 
 ……一瞬でも、俺に向かって言ってくれたのかなんて、期待した自分が馬鹿みたいだった。
 
「……詳しいんすね。花言葉」
 
 月影さんにこれを見られたってのと、病気の事を知った上で目の前で花をげえげえ吐かれたら、何もかもを白状してるようなモンだってのと、真面目な顔した月影さんが一体どういう気持ちか全く推し量れなかったっていうのもあって、俺の口からは、てんでどうでもいい言葉が零れていた。
 
「一時期、熱心に調べていました」
「ヘェ。月影さんがそんなに花に興味あるなんて、知りませんでした」
「……自分が花を吐き始めたら、さすがに興味を持たざるを得ませんから」
 
 月影さんの言葉の意味を理解するのに、一瞬間が空いた。
 
「えっ……」
 
 それってつまり、月影さんも……?
 
「……華菜さんが亡くなってから、ずっと」
 
 俺の言いたい事が分かったのだろう。そう付け加えた。
 さらに月影さんが話を続ける気配があった。
 
「亡くなっても尚、華菜さんが好きな気持ちが強すぎて、拗れた片思いみたいになってたんだと思います。仏壇に手を合わせている時とか、一人になってふと華菜さんの事を思い出した時とか、そういう時によく吐いてました。でも、人前で吐くような事は無かったし、実生活にあまり支障は無かったので、誰にも知られていません。武蔵君と会った頃にも、相変わらず続いてました。その頃にはもう、頻度も低かったので、たまに出る発作みたいな感覚でしたけど」
 
 月影さんの瞳は、相変わらず花に向けられながら、何かを思い出すかのように揺れていた。
 
「最近ではもう何年も、吐く事が無くなっていたので、忘れていたんですけど……昨日の君を見て、思い出しました。ああ、こんなのもあったなって」
「……」
「百合は、まだ吐いてません。華菜さんにはもう会えませんしね。でも、もう、それが腑に落ちたんだと思います。時間が経って、悲しい気持ちも癒えて、強がりでも何でもなく自然と、ああこの人にはもう会えないって理解して。そして、会えなくても、大切な人だって思い続ければいいんだって、自分の中で終わったんだと思います」
 
 訥々と話す月影さんの言葉を聞いていると、何だかこっちまで胸が締め付けられるようだった。ああ、さっき俺は何を考えただろう。この人は片思いを拗らせる事なんて有りえない。ずっと両想いのままだなんて、そんなはずが無かった。ただ結婚しているという契約があっただけで、そこにはもうその人は居ない。大好きなのに二度と会えない。月影さんは、こんなに辛い思いを何年もしてきたんだ。ずっと、一人で。
 
 そんな風に感傷に浸って、何も言えないで居ると、目の前の顔がぷっと噴き出した。へ? 何? ここ笑う所だった?
 
「……あの……今の話、聞いてました?」
「……聞いてました……」
 
 確認を取るように聞かれたので、ただ事実を返すしかない。今の話を聞いていたから、俺はこんなに切ない気持ちになっているんだ。これ以上何を求められているか分からないから、呆ける事しか出来ない。
 
「私、終わったんですよ。華菜さんへの片思いが。もう、終わってるんです」
 
 さらに月影さんが念押ししてくる。華菜さんへの片思いが、終わった。華菜さんは月影さんにとって大事な人だけど、もう胸を締め付けるような感情は持っていない。ゆったりと、空気のように、そこに存在し続けるのだろう。恋なんて生ぬるいものでは無く、もっと別の何かとして。
 
(……ん?)
 
 それを理解した瞬間、月影さんの肩を掴んでいた。
 
「月影さん!」
 
 目の前の顔は一瞬驚いたかのように目を丸くしたが、すぐにゆったりと目を細めた。
 
「俺、あんたの事が……!」
 
 
 ***
 

 しかして俺の花吐き病は、僅か一日で完治した。
 
「武蔵君って、私と両想いじゃないつもりだったんですね」
 
 白銀の百合を摘んでくるくると弄びながら、面白そうに月影さんが言った。どの口が言うんだとビックリして動きが止まった。
 
「だって実際あんた、俺の事そういう意味で好きじゃなかっただろ!?」
「いや、それはまぁ、そうなんですけど」
「否定しろよ! またげえげえされてぇのかよ!」
「でも君の事だから、セックスしてる、その上他の人間とは寝ない、つまりこれは両想い、ぐらいの三段論法で処理してると思ってました」
 
 一体俺はどんな突飛な理論で生きていると思われていたんだろう。確かに、直属の部下にしてもらおうと奮闘していた時を筆頭に、月影さんの事が好き過ぎてちょいちょい色んな物を無視しすぎてしまう傾向があった事は認めよう。月影さん関連で、押しに押して強引にやりすぎた事だってある。だが、そこを差し引いても俺は元々結構常識人で、人の気持ちに敏感な方だ。月影さんが心の底から嫌がって求めていないと思ったら、それ以上の事はしてきていないつもりだ。特に華菜さんに関しては、この人の触られたくない最たる物だと思っていた。それを勝手に三段論法で両想いとして扱おうなんていう結論になるはずもない。何度も言うが、俺は月影さんが好きすぎて、大事にしたすぎるのだ。俺にとって、月影さんの柔い部分は最大限尊重するべきものなのだ。
 
「花吐き病って、多分、事実がどうであれ、その人の気持ちによって起きるものだと思うんです。両想いの恋人同士だとしても、心の中で相手の好意を疑っていればそれは片思いと同じ事かもしれないし、結婚っていう分かりやすい契約があったとしても、伴侶を失えば私みたいに思いを募らせて花を吐く人間もいる。だから武蔵君が空港で花を吐いた時、正直驚きました。あ、この子、そんな風に思ってたんだ、って」
「その時点で全部気付いてたんですか? 意地ワリィ……」
 
 非難がましい俺の言葉に、月影さんが一つ、笑いを零した。
 
「セックスはするけど、こんな風に真正面からハッキリ気持ちを伝えられた事なんて、今まで無かったから」
「……」
「何ていうか……ちょっとだけ、この辺りが、こそばゆくなっちゃいました」
 
 相も変わらず百合から視線を移さぬまま、自分の胸を撫で摩る月影さん。その耳たぶが、ほんのり赤みを帯びているように見えて、俺の心の中に見る間に意地悪心が膨らんでいった。
 
「俺に好きって言われてきゅんとしたって事?」
 
 思わずしたり顔で問いかける。呆れ顔の月影さんに、すぐさま額を小突かれた。
 
「調子に乗らない」
「ふはっ」
 
 つれないお返事だったけど、否定はしない。そんな態度に、ますますもって幸せな気持ちになる。ああ、俺、こんなに月影さんの事好きだったんじゃん。なんでこんな病気にかかるまで気付かなかったんだろう。
 
「なぁ月影さん」
「?」
「これから、もっと、もっ~~~と、こそばくしてやるからな」
「……」
「覚悟しとけよ。三年後には、アンタが俺にベタ惚れだ」
「……ふふっ、覚悟しておきますね」
 
 気付いてしまえば、認めてしまえば、驚く程簡単な事だったんだ。

 ブーゲンビリア(あなたしか見えない)
 モモ(あなたに夢中、あなたの虜です)
 ハナミズキ(私の想いを受け止めて)
 トリトマ(切実な想い。恋する胸の痛み)
 白い百合(純潔)

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