小説

干支桃源郷物語

letm_official

第五話


 ユキが紅に騙されているのではないかと心配になった影縫は、秘密裏に人里を調査していました。そしてそこで、「紅が人間の娘を食べている」という噂の真相を知ったのです。
 生贄の名目で集められた娘たちは紅に食べられたのではなく、偉い人達の私腹を肥やすため、ある者は娼館へ、ある者は金持ちの慰み者へと売り飛されていたのです。その罪を「龍の神様」という、いかにも人間が恐ろしがりそうな存在になすり付け、何も知らない民衆の怒りの矛先が全て紅に向くよう仕向けていただけの話でした。
 紅は元より周りにいるユキにまで危害が及ぶ事を危惧した影縫が、武蔵達に協力を依頼。そしてあの場に駆けつけたというのが、今回の事の顛末です。
 
「許せない……!」
 全てを知ったユキは、怒りに声を震わせました。
「人間は俺達に守られてるっていうのに、恩を仇で返すような事ばっかりして、挙句今回は紅さんまで……!! もうあんな種族に加護を与える価値はおろか存続の価値すらありません!! 紅さんが直々に罰を与えるべきです!!」
 ユキの向かいには、すっかりいつもの調子に戻った紅が座っています。というよりむしろ、心なしかいつもより艶々しているようにも見えます。丸一日中ユキと一緒に一体ナニを入れたり出したり抜いたり挿したりしていたらこんなに調子が良くなるのでしょうか。世の中は不思議で満ち溢れています。
 過激な意見を述べるユキに対して、紅はげんなりと溜息を吐き出しました。
「あ~もうちっせぇちっせぇ! テメェら小動物は体も小さけりゃオツムもアソコも全部ちっせぇんだよ!」
「……そのちっさいアソコにさっきまでアンアン言わされてたのは誰っすか?」
「いいかよーく聞きやがれ!!」
 不都合なツッコミは華麗にスルーして、紅はユキの眼前に煙管を突きつけました。
「そりゃ俺個人の気持ちとしては、俺に無礼を働いた人間どもなんざ、さっさと燃やし尽くしてハイ滅亡~ってしたい所よ? ただ俺達が干支として人間の世界を守ってやってる一方で、俺達の暮らすこの世界もまた人間どもの畏れと信仰心で形作られてるワケ~。だから人間が居なくなったら、イコールこの桃源郷もいずれ廃れて形を保てなくなっちまうの。つまりここに住んでる奴ら全員が路頭に迷う事になるんだよ。……お分かり? 目先の恨みつらみに囚われて人類滅亡させた所で、長い目で見りゃ結局誰も得しねぇの~」
 口調こそ飄々としてはいますが、紅の語る内容は真理でした。軽率さを窘められたユキがうっと言葉に詰まります。
「でも……でも、それじゃあ……今回の事だって、人間は反省せずにまた繰り返すかも……」
 ただそれでも、やっぱり何もお咎めなしというのは違う気がします。大切な人を傷つけられたのだから仕返ししてやりたいという私情も混ざって、どうしても食い下がってしまいます。
「そうだ。だから犬族に人里の方の処分を任せてる。なぁに武蔵達ならいい塩梅にやってくれるさね。罰せられるべき人間はほんの一部だ。今回の奴らも結局は被害者なんだよ」
 影縫が拝借してきた人身売買のやり取りの手紙や、金銭授受の記録が、紅が無実であるという何よりの証拠。実際今回押しかけて来た人間達は、全て自分達の誤解であった事を知り、大変な事をしてしまったと青ざめているようです。人里の方でも真実が広まるのは時間の問題でしょう。
 一番の被害者である紅がこう言う以上は、自分が口を挟める事はもう何もなくて、ユキは今度こそ唇を尖らせながら下を向きました。
 黙りこくったユキの前で、煙管をふかす深呼吸の音だけが、静かに部屋に響きます。
「それに……俺もちょっとばかし傲慢だったかもしんねぇな」
 そうしてしばしの沈黙を過ごした後、紅がぽつりと切り出しました。
「今回の事も、バカな人間共がまたワケのわかんねぇ事言ってピーピー騒いでんなくらいにしか思わなかった。うっせぇ事言ってきたから、テキトーに脅して黙らせとけとな。その結果があのザマよ。何で俺が人間を喰ってるなんて噂が流れてるのかって、ちょっと調べれば分かる事だったのにな。結局俺も噂を鵜呑みにしたアイツらと同じだ。ハナから人間見下して、恐怖で黙らせて、本当の事を知ろうともしなかったからこうなった。……自分の力におごった俺を、どっかで見てた本物の神さんが叱りつけたんだろうよ」
 自嘲気味なその言葉は、目の前に居るユキに語られているようでいて、ただの独り言のようにも聞こえました。斜め下に視線を揺蕩わせる紅を見ていると、何だかその存在が薄れて消えて行ってしまいそうな錯覚を覚えます。ユキは、何か言わなければという焦燥感に駆られました。
「で、でも……やっぱり紅さんは悪くないです。だって人間が勝手に女の子を集めて、売り飛ばして、それを紅さんのせいだって言ってたんですよね? ……紅さんは勝手に悪者にされただけじゃないですか? 何も悪くないですよね?」
 懸命に擁護しようとするユキに向けて、紅は苦笑を一つ。
「ま、今回誰が悪かったっつーより、俺の個人的な気づきの話だ。ちっせぇ頭であんま深く考えなさんな」
 この話はもうおしまい、とでも言うように、トン、と煙管の灰が落とされました。
「ところでユキ。テメェ俺が気絶してる間、人間に連れ去られそうになってる所を守ってくれたらしいじゃねぇか」
 新たな刻み煙草を詰めつつ、紅が話題を切り替えます。
「あっ……え、と……守ったっていうか……影縫と武蔵さんが来るまで、フルボッコにされてたっていうか……」
 果たしてあれが守ったと言えるのか、甚だ疑問に思っているユキは、恥ずかしそうに人差し指同士をつつき合わせました。出来る事なら自分だって影縫や武蔵のように、かっこよく紅を守りたかったのですが……。
 フウッ。紅が息を吹きかけると、たちまち煙草に火が灯りました。
「いんや俺はその心意気が気に入ったぜ。テメェが居なきゃ縫ちゃんも武蔵も間に合わなかったかもしれねぇしな。可愛い顔してやるじゃねぇか。ってなわけで……褒美を取らせよう。何がいい?」
 ビックリです。まさか直々にご褒美が貰えるなんて。願ってもいないお言葉でした。
 ただ桃源郷での生活はとても豊かで満ち足りているため、褒美と言われても咄嗟に何とは思い浮かびませんでした。食べ物には困らないし、安心して過ごせる住処はあるし、優しい友人は居るし、毎日がとても幸せです。
 強いて言うなら……
(紅さんと……)
 ちらりと上目で紅の様子を伺うと、不可抗力で結ばれた先ほどの情交がフラッシュバックしました。あんな風に熱に苦しめられた状態ではなく、優しくキスをして、ゆっくりとお互いの体を触り合って、少しずつ気持ちよくなって、自然な形で結ばれたら……。そこまで考えた所で、ユキの頭から煙が噴き出しました。
「……あんれぇ~? ユキちゃんもしかしてエッチな事考えてます~?」
 不埒な思考に勘付いた紅は途端に面白そうなニヤニヤ笑い。ユキはユデダコになったまま、長い耳が千切れそうな勢いで首を左右に振りたくります。
「かっ……か、かかかか考えてません!! 考えてません考えてません考えてませんっっ!!」
「うっわ分かりやす……。別に俺はエッチな事でもぜ~んぜん構わねぇよ~♡ さっきのアレは治療に付き合わせたみてぇなモンだったからな。今度は手取り足取り腰取りユキが知らない事まで色々教えて気持ちよくしてあげちゃ~う♡」
「違いますっ! ヘンな事言わないで下さいッ!! そうじゃなくて、俺が考えてるのは、そのっ……!!」
 一度大きく息を吸って、吐いて。その後覚悟を決めたように、膝の上でぎゅっと拳を握りしめます。
「えっ、えっちな事も……したくないわけじゃ、ないですけど……それよりも……俺っ……紅さんの、つ、つ、つ……番になりたいですっ!!」
 大声で宣言されたのは、ご褒美にしてはあまりに突飛な要求でした。これにはさすがの紅も、思わず口をぽかんと開いて呆けてしまいます。しかし少しの間を空けた後、その表情は面白そうな笑みの形に変化していきました。
「ヘェ……俺と番いたいなんて、また随分とデカく出たもんだ。ただ残念だったな。俺ァ番は娶らない主義でなぁ」
 手のひらをひらひらと振りながら、軽ーい調子で返されたのは、事実上のごめんなさい宣言でした。ダメ元で言ってみた事とはいえ、やっぱりフられるのはどうあったって堪えるもの。ユキの耳がしょんぼりと下を向いていきます。しかしそこで紅が、「だが!」と威勢のいい声を上げました。
「さっきも言ったように俺はテメェの心意気が気に入った。あとツラも可愛くて俺好みだ。それに……体の相性も悪くねぇ。だからテメェが死ぬまでの短い間で良けりゃ、共に生きてやってもいい」
 一瞬何を言われたのか理解しきれず、ユキは目を丸くしました。その後弾かれたように顔を上げ、わなわなと肩を震わせます。
「お……俺が死ぬまで、一緒に生きてくれるって事ですか……?」
「だから今そう言ったろ」
「番は娶らない主義なのに!?」
「まぁ長い龍生だ。たま~にイレギュラーがあってもいいだろ」
「ホントですか!? 嘘じゃないですよね!?」
「何だよ自分から言い出しといて疑り深ェな。嘘の方がいいのか?」
「いえそうじゃなくて!!」
 畳の上で紅ににじりよったユキが、煙管を持っていない方の手を掬い上げました。
「あ、あの、ただのご褒美だって事は分かってます。別に俺の事が好きだからオッケーしてくれたわけじゃないって」
 まさしくその通りなので、紅は何も言いません。今回世話になった恩義はあるにせよ、それとこれとはまた別のお話です。
 さらに強く、ユキが紅の手を握りしめます。
「だから俺、紅さんに俺の事好きになってもらえるように頑張ります!」
「……ヘェ。殊勝な心掛けじゃねぇか」
「紅さんの事、めちゃくちゃ大事にするんで!」
「ふふっ。ま、俺は高ェよ? せいぜい気張れや」
 ここまで青臭くて純粋な好意をぶつけられたのはいつ以来の事でしょうか。満更悪くもない気分になった紅が、軽口をたたきながら笑みを零します。それに対して嬉しそうに頬を赤らめるユキ。どうやら少しだけ実感がわいてきたようです。
「あの……キスしても、いいですか?」
「あんだけズッコンバッコンやっといて、今更聞くぅ?」
「あれは治療みたいなものだって、紅さんも言ったじゃないですか! だからその、番として、改めてよろしくお願いします的な……」
「ま~律儀だこと。じゃあほら。ん♡」
 紅が目を閉じて、唇を少しだけ尖らせ、キス待ち顔を作りました。冗談ぶった仕草でしたが、惚れた欲目抜きにしても可愛くて、どきどきと胸が高鳴ります。甘えるように鼻先を擦り寄せた後、そっと唇を重ねました。
 先程の、紅に噛みつかれているような交尾では、唇が柔らかい事も、煙草の味がする事も、感じる余裕がありませんでした。深く繋がるのが勿体ない気がして、優しく押し付け合い、それ以上の事はせず、そして少しだけ名残惜しく感じながら、ゆっくりと顔を遠ざけていきます。
「!?」
 そんな初々しいキスの余韻を噛み締める間もないまま、突如、煙管の吸い口でユキの顎が持ち上げられました。目の前には、挑発的に、楽しそうに細められる青色の瞳がありました。
「お前の一生分で、しっかり愛せよ? 俺の事」
 恋が実った瞬間に、何という殺し文句でしょう。ユキは白い頬を真っ赤に染めながら、嬉しそうに頷いて返事を返したのでした。

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