小説

風邪っぴき紅と甘えんぼ空君

letm_official
健全/一色紅/一色空

反抗期真っ只中の空は、風邪を引いた兄の紅を看病する事になる。本当は兄の事が好きなはずなのに、一緒に居るとどうしても反抗的な態度を取ってしまう。その日の晩、熱が上がった紅の枕元で空は幼い頃の父親の夢を見た。

 普段は自分のマンション、もしくは何人居るのか分からない恋人その他諸々の家を転々とし、こちらの家になど滅多に顔を出さない兄が珍しくも帰ってきた。
「空ぁ~~~お兄ちゃん風邪ひいちゃった看病してぇ〜〜~?」
 一体どういう風の吹き回しかと思えば、開口一番そんな事をのたまった。
「……突然帰ってきたと思ったら何?」
「え? だから風邪ひいたんだって」
「看病してくれる人くらいいくらでも居るでしょ」
「皆風邪ひいた途端移すなって追い出しやがんだよ。ヒデーの普段はゴロゴロ言うクセに具合悪くなったらつめてぇの」
「ユキ君は?」
「ユキんトコ行って万が一にでも移ったらどうすんだようちの稼ぎ頭だぞ」
 脳味噌の代わりにプリンが詰まってる人間のくせに、たまに思い出したかのようにめちゃくちゃマトモな事言うのやめろ。
「いいだろオメーどうせ暇なんだし。看病くらいしろよ」
「ぐっ……」
 悔しいがアイドルとしてのスケジュールが埋まっていない事は、他でもない事務所社長の兄には筒抜けだ。とはいえこちとらまだ中学生。学校だって宿題だって何なら部活だってあるのに、ヒマ扱いとはいかがなものか!
「てなわけでそーら♡ お兄ちゃんの風邪もーらって♡」
「ああもう風邪ひいてるならベタベタすんなよバカ兄貴!!」
 移す気満々で抱き付いてくる兄を負けじと引っぺがし、仕方なく家へと迎え入れた。
 
 紅と空は腹違いの兄弟だ。だが両親は空が幼い頃に蒸発してしまっており、以降紅が空の面倒を見た親子のような間柄でもある。とはいえまさか紅にまともな子育てなど出来るはずもなく、とりあえず金銭面を負担するだけ負担してあとは業者に丸投げというスタンスではあるのだが、それにしたって空が何の苦労もなくむしろ快適に生活出来ているのは間違いなく兄のおかげ。具合が悪い時に世話をしてやる程度の義理は勿論ある。
 ……のだが……
 
「空〜この家AVねぇの?」
「は!? あるわけないだろ俺一人暮らしだよ!?」
「俺が置いてったヤツとかねぇの? つか中学生にもなればAVくらい普通に見るだろ使えねーな」
「あれ18歳以上しか見ちゃダメなやつだからな!?」
「なぁ灰皿は〜?」
「だから俺一人なのに灰皿あるわけないだろ!! っていうか具合悪い時くらい煙草控えなよ!!」
「おっ、空き缶あんじゃーんこれでいいや」
「もおおおおお!!」
 好き勝手言いながらウロチョロと動き回る兄を前に空は頭を抱えた。
「あのさあ!! 看病して欲しいならせめて大人しく寝てなよ熱あるんだよね!?」
「さっき測ったら37.8度あった」
「まぁまぁあるじゃん何でそんなピンピンしてんの!?」
「大丈夫だって俺平熱高ぇし~。これくらい微熱微熱」
「いやとりあえず病院行きなって!!」
「ええーーー!? やだよ病院嫌いだし薬も注射も嫌いだもん!!」
「子供かよ!! 風邪くらいで注射されねーよっ!!」
 駄々をこねる兄を無理矢理ベッドに押し込んで部屋着に着替えさせる。病院には意地でも行きたくないらしいので、市販の風邪薬を買ってきてやる事にする。
「何か食べたい物ある?」
「え? カツ丼」
「ねぇもうさぁ~……おかゆとかすり林檎とかの話してるんだってばぁ……」
 兄は輝かしい功績を残している反面、一般常識が大幅に欠落している傾向にある。体が弱ってる時にそんな油ギットギトのものを食べようとするな。
「俺その手の食いモン嫌いなんだよなぁ~。ああいう歯使わなくても食えるヤツって赤ん坊の食いモンだろ? 大人が食べる意味分かんなくね?」
「だから具合が悪い時に内臓への負担を減らすために食べるんだよ!」
「その理屈だとよく噛んで食べればいいって事じゃん?」
「どうせよく噛みもしないクセに偉そうな事言わないで! とにかく人間具合が悪い時はあっさりした消化のいいものを食べるって太古の昔から決まってるの!!」
「マジかよ。太古の昔から決まってんならさすがに従わねぇわけにもいくめーな」
 スウェットの襟ぐりから顔を出した紅は、ピアスをぷちぷちと外しながら分かっていなさそうに納得した。その納得の仕方が若干煽られているようで腹立たしく、空はさらに何か言ってしまいそうになったのだが、ここで一々ツッコミを入れていては話が進まない。兄を前にすると苛立ちがちな自分に対して、平常心平常心と心の中で念じつつ、とりあえず必要な買い物を済ませる事にした。
 
 
 
 ドラッグストアに着くと、入店してすぐの一画に、来る夏に向けての日焼け止めコーナーが特設されていた。その中で一際大きく張り出されている、大手化粧品メーカーのポスターが空の目に留まった。
 女性をターゲットに売り出されている商品にも関わらず、その透明感と美しさでモデルに抜擢されているのは、他でもない事務所の先輩、水方ユキである。
(……ユキ君、こうやって見るとやっぱりすっごく綺麗だなぁ……)
 その写真に見惚れると同時に、チクリと胸の片隅が痛むのを感じながら、風邪薬の売り場へと歩いていく。
 空は一応Kプロダクトの所属アイドルである。そう、一応は。
「義務教育を終えるまでは学業に重きを置きたい」という空本人の意思が無いわけではないのだが、それにしたってこうして外を歩いていても、空に気付いて足を止める者など誰もいない。つまりそう、その程度の知名度だ。
 自分とそう変わらない年の頃、兄はデビューして間もなくメディアに引っ張りだこになり、大きなハコを悉く満員にし続け、世界的に有名なラグジュアリーブランドのイメージモデルに抜擢されていた。空はその当時をリアルタイムで見た事はないが、ネットには画像やエピソードが溢れている。
 屈託ない幼子の頃は、ただ兄の存在から与えられる高揚感を全身で受け止めて、キャッキャとはしゃいでいたのを覚えている。それがアイドルを志すキッカケの一つでもあった。自分もやってみたい。お兄ちゃんの弟なんだから、自分もこんな風になれるかもしれないと思った。
 だが年齢も上がり、事務所に所属し、社会を知り始めると、空はその存在を前にして途方に暮れた。兄はあまりに天才すぎた。自分はあんな風になれない、と。大好きだったはずの兄が、比較と劣等感の対象になった。
 加えて世間は、自分より少し離れた位置に居る他人に対してあまりに不躾だ。「お兄ちゃんの名前を借りられていいよね」「期待してるよ」「一色紅の弟なのに」「案外大したことないんだね」好奇の目、期待、嫉妬、落胆、様々なものを向けられるうち、空の気持ちは少しずつ疲弊していった。
 そんな経験を繰り返すうち、少しずつ兄に対して素直になれなくなり、反抗的に振る舞ってしまう事が増え、今に至っている。
 兄は、何も悪くないはずなのに。
 
 
 
「ねえぇもうさああぁ~~~~!!!!」
 帰宅した空は弱り切った声を上げた。兄の部屋に入った途端響く水音と喘ぎ声。紅が煙草を吸いながらエロ動画を眺めてニヤニヤとやに下がっていたからである。
「具合悪い時に何でエロ動画見てんの!? バカなの!?」
「え? だって暇だし。子供も風邪ひいたら好きなアニメとか見せて大人しくさせとくだろ? それと同じよ」
「兄貴はもういい年こいたオッサンだよね!? 頼むから普通に静かに大人しく出来てよ!!」
「ウッセェなAVくらいでゴチャゴチャぬかしやがってこれだから童貞はヤなんだよ」
「今童貞関係ないよね!? っていうかいつまで煙草吸ってんだよっ!!」
 たまに咳き込んでいるくせに意地でも吸い続ける煙草をひったくり、灰皿代わりの空き缶(ツナ)へと乱暴に押し付ける。ああもうこんなのが元トップアイドルとか、やっぱり世の中間違ってる!!
「お粥買ってきたから、これ食べて薬飲んで大人しく寝てよね!」
「はあぁぁぁ~~~~~……俺噛み応えのねぇモン食いたくねぇんだよなぁ……」
「またそれ!? さっき一回納得してたじゃん何回も同じ文句垂れないでっ!!」
 兄を追い出した知り合い一同の気持ちが分かった気がした。こんなワガママ大魔王の面倒なんてそりゃあ見たくないに決まってる。自分だって今すぐ追い出したい。血の繋がりと養って貰っている義理がなきゃ今すぐ閉め出したい。
「はい、たまご味ね。リンゴもむいたから」
 そんな気持ちを押し殺し、温めたレトルト粥とリンゴの乗った盆を差し出す。リンゴはせめて噛みごたえのあるものをという空なりの優しさと、あとは風邪イコールリンゴだろうという浅い知識からのチョイスである。
 すると紅がわずかばかり驚いた様子を見せた。
「え、これ空がむいたの?」
「そうだけど?」
「ええ!? すっげぇお前リンゴの皮むけんの!?」
「むけるに決まってんじゃんバカにしてんの!?」
「いやいや俺果物は皮ついてたらそのまま行くか食うの諦めるかの二択だから。やば、ちょっと成長感じるわ~。空もおっきくなってんだなぁ。ありがとな~」
 そう言うなり、紅は徐に空の頭に手のひらを乗せて来た。いきなりの事に空が目を丸くしているうちに、そのままくしゃくしゃと撫で回される。
 久しぶりの兄の手は、温かくて大きくて、ちょっと嬉しかった、なんて思っていない。
「ッ……おっ、俺! 宿題しなきゃだから!」
 胸に広がったこそばゆさに耐えきれず、空は顔を背けながら立ち上がった。
「え〜? 何それ真面目すぎーん? 今帰ってきたばっかじゃん、もーちょい居ようぜ〜」
「病人と一緒に居たら移るだろ! てか真面目に勉強やってるんだからむしろ喜べよ!」
「ヤダヤダ〜! 空が一緒に居てくれなきゃお兄ちゃん寂しくて死んじゃ〜う!」
「もうウッザい!! そういうのほんとやめてっ!!」
 両腕を絡みつかせてくる構っておじさんを無理矢理ひっぺがす。見た目通り本気で寂しがっていたわけではないようで、紅はけらけらと笑いながら食事に手を伸ばしていた。
「食べ終わった食器そこに置いとけばいいから。変な事しないでちゃんと寝てなよ!」
「ふぁいほーい」
 リンゴをかじりながら手を振る兄を背に、空は扉を閉めて階段を下りていった。
 
 
 
 とはいえ気恥ずかしさを紛らわすための口実だった宿題はすぐに終わり、時間を持て余した空はダンスの自主練習に向かう事にした。
 Kプロダクトには事務所タレントは誰でも利用出来るダンススタジオがある。中に入ると、先客として影縫が居た。
 本来なら大先輩な上に事務所の看板でもある大人気アイドル。恐縮の一つでもしそうな場面だが、生憎空は影縫とスタジオで一緒になる事が多く、タメ口で話せるくらい仲がいい。挨拶がてらかくかくしかじか紅が風邪を引いたんだという話をすると、普段はあまり笑わない影縫が、ここぞとばかりに皮肉っぽく目を細めて「いい気味だな」なんて言うものだから、そのリアクションに爆笑してしまった。
 空は影縫のこういう所が好きだ。大人しそうに見えて実は毒っぽい所とか、あとは一色社長マンセーの風潮が強いKプロ内において、兄の事を変に神格化しない所とか。影縫は空と同じ目線で話してくれる貴重な同士なのだ。
 その後はお互い好きなようにダンスの練習をしたり、あとは合間にスマホゲームでマルチプレイを楽しんだり。そんな時間を過ごした帰り際、影縫が徐にキャンパス地の手提げ袋を差し出してきた。
 聞けば仁亜から預けられた物で、空の分のご飯が入っているらしい。中を覗くと食品用のタッパーが積み重なっていて、ほんのり美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐった。曰く「あれの面倒を見るのも大変だろうから、せめて空は美味しい物を食べなさい」だそうだ。面倒見の化身である仁亜様の事を拝みたくなった。お腹がぐうぐう鳴ってきたので、影縫と別れ帰路を急いだ。
 いそいそとタッパーを開くと、梅紫蘇チキンカツと、ひじき煮と、ほうれん草の白和えと、野菜たっぷりのお味噌汁と、もち麦ご飯のおにぎりが入っていた。どれも健康的な上に物凄く美味しかった。体調を崩して寝込んでいる兄には申し訳ないが、残さずぺろりと頂いた。ちなみに言うと、タッパーの一つにはちゃっかりとお粥も入っていた。何だかんだ兄を邪険にしつつも面倒見がいい仁亜らしい心遣いである。さらにその脇には、何故かポッキーの箱も無造作に入っていた。この自分が好きな物を雑に差し入れる感じ、影縫の仕業だろう。こちらも食後のデザートに半分ほどつまんだ。
 
 そんなこんなでとっぷりと日が落ちた頃、そろそろ二階で寝ている兄の事が気になり始めた。そう言えばやけに静かだ。下に降りてくる気配もない。様子見がてら食事でも持っていってやるかと、仁亜のおかゆをチンして兄が寝ている部屋へと足を運んだ。
「兄貴、お粥温めたけど……」
 控えめに扉を開いて声をかけようとして、しかし空はすぐに口をつぐんだ。室内はしんと静まり返っており、常夜灯の明かりのみで薄暗い。どうやら眠りに落ちている様子だったからだ
 一瞬何も言わずに退散しようかとも思ったが、容体も気になったため忍び足で入室した。机にトレイを置き、枕元にゆっくりとしゃがみこむ。
(うわ、つらそ……)
 紅は眉を寄せながら荒い呼吸を繰り返していた。頬が真っ赤に染まり、首筋がじっとりと汗ばんでいるのが見て取れる。
 心配になって体温計をかざしてみると、39度近くも熱があって驚いた。昼間はあんなにピンピンしていたのに。慌てて冷えピタを取り出して、おでこにそっと貼り付ける。反応は無い。紅は大雑把になくせに変な所で神経質というか、動物っぽいというか、弱っている時に不意に触れようものなら反射的に目覚めて胸倉を掴まれてもおかしくないのだが、今はそんな様子もない。空にはそれだけ心を許しているという事なのだろうか。それとも何にも気づけぬ程朦朧としているのだろうか。
(……さすがにちょっと薄情だったかな。元気そうにしてたから油断しちゃった……)
 空がついていた所で変わらず熱は上がっていただろうが、それでもやっぱり家にくらい居てやるべきだったかと、少しだけ後悔の念が湧いてきた。
 乱れた布団を引き上げて、首筋の汗を拭ってやる。睫毛が震え、みじろぎが返ってきたが、起きる気配はない。
 アクセサリーを全て外し、寝間着を着て、おでこに冷えピタを貼って、弱々しくベッドに横たわる兄は普段のそれとは別人のようだ。
 こうしていると、この人もただの人間なのだなと思う。
 どこにでも居る、普通の人間。
 
 神様として扱われるというのは、一体どんな気分だったのだろうか。
 チヤホヤされるのが大好きなこの兄の事だから、全力でその恩恵を享受していただけのような気もするが、もし自分がその立場だとしたらと考えると、手放しに喜べない。
 兄は子供の頃から、子供らしくいる事も許されずに、ただ「そうするしかなかった」のではないかと。そして自分の中の何かを置き去りにしたまま、ここまで来てしまったのではないかと。そんな考えがちらりと頭を過る事があるのだ。
 それは肉親の勘のようなものでもあるし……空の経験から来るものでもある。

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