小説

ブループリントシンデレラ

letm_official

後悔


 紅が世界から居なくなった所で、そんな事とは関係なく季節は巡っていく。
 学校に行って、ノートを取って、友達と喋って、たまに遊んで、そして、二週間に一度髪を染める。日々のルーティーンから紅が消え、俺の日常は以前のそれに戻った。
 惰性的に学校生活を送るにつれ、段々と、高校受験という言葉も現実味を帯びてくる。進路希望のプリントには、皆そうしているように、妥当な偏差値の普通科高校を記入してなんとなく提出した。
「ただいま」
 帰宅してすぐ部屋に上がり、冴えない気分でベッドに寝っ転がった。番組表をチェックしたり、近所のコンビニに立ち読みしに行ったり、SNSを覗き見したり。コソコソと紅を探す日課が無くなった今、何だか心にぽっかりと穴が空いたみたいだ。紅を知る前はそれが普通だったはずなのに、心は前と同じには戻らない。いつの間にか紅は、俺の生活の一部になっていた。
(ほんとに居なくなっちゃった)
 アイドルを引退する。そうは言っても、何らかの形で芸能界の片隅には居てくれるはずだと、淡い期待を抱いていた。
 でも一色紅は本当に表舞台から消えた。たまにネットニュースや雑誌等で、嘘か本当かも分からない噂話程度の動向や、スキャンダルもどきの記事が取り上げられる事はあったが、それだけだ。熱愛報道があった女優との同棲。大富豪のパトロンを見つけてヒモ生活。隠し子発覚。数年後の復帰に向けてのパフォーマンス。様々な憶測が飛び交って、本人とは全く関係のない場所で、世間は勝手に賑わった。俺も何とか紅の動向を知りたくて、最初のうちは熱心にそれらを読み漁っていた。だけどそのうちに、結局どこにもあの神様の気配がない事に気付いてしまった。そこにあるのは、紅の残り香を使って何とか金儲けが出来ないかと画策する、大人達の下心だけだった。
 ベッドサイドに置きっぱなしだった本に手を伸ばす。最後に唯一買う事が出来た、紅の引退と同時に販売されたメモリアル写真集だ。今や俺の世界に存在する一色紅は、テレビ画面を直撮りしたような画質のアンオフィシャルなまとめ動画と、この本だけになっていた。それを毎日、飽きる事なく、繰り返し眺めている。
 段々とくたびれ始めた表紙から、本を捲っていく。
(カッコイイ)
 辿り着いたのはお気に入りの一ページ。ライブ中、サイリウムに彩られながら、汗だくになって楽しそうに髪を掻き上げている紅の写真だ。手のひらを這わせると、とくん、とくんと、心が喜んでいる音がする。
 一瞬を切り取ったただ一枚の写真だけでも、こんなに胸が熱くなる紅のライブは、一体どんなエネルギーに満ちた空間だったんだろう。
 遠くからでも、米粒みたいな大きさでも、それでも生の一色紅の姿を拝む事が出たら、一体どんな気持ちになれるんだろう。
(何で会いに行かなかったんだろう)
 ライブという、直に会える場所があったのに。
 グッズだって、いっぱい売ってくれていたのに。
 今となっては、どんなにお金を払ったところで、どんなに遠くまで出向いたところで、もう紅には会えない。俺が変な見栄を張っているうちに、変な自尊心を守っているうちに、あの人はただの伝説になってしまった。
「会いたかったなぁ……」
 そう呟いた自分の声があまりに弱弱しくて、目頭がつんと痛くなった。下瞼のふちに雫が溜まり、やがて零れてシーツに吸い込まれていく。
 
 もしもう一度、この人に会えるチャンスが貰えるのなら
 今度はつまらないプライドなんて捨てて、何をおいても真っ先に会いに行くのに。

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