小説

結局俺の初めては全部この人に奪われた。

letm_official
R18/BL/一色紅×水方ユキ

アイドル候補生として充実した毎日を送る水方ユキ。しかしそんな彼にも悩みがあった。事務所社長の一色紅が、やたら自分と距離を詰めてくるのである。ユキは何とか適度な距離感を保とうとするものの、ひょんな事から紅の自宅に招かれ空気に飲まれてしまい……。

 オーディションに合格してからというもの、俺の日常は目まぐるしく変化していった。
「ドッキリ大成功!」なんてプラカードが出てくる事もなく、後日Kプロダクト事務局から正式な連絡があり、契約のための説明会に招かれ、契約書にサインをした。ちなみに当然ながら、この時点ではテレビとも雑誌とも全く縁のないただの男子中学生。まだまだ自覚は薄いけれど、これにて俺は芸能事務所に所属するアイドル候補生となったらしい。
 高校に関しても、家から近い普通科高校に通うつもりだったものが、芸能コースのある高校への進学に大幅シフトチェンジ。それに先立ってKプロの寮に入って生活もし始めた。
 紅さんのあの軽さからは信じられないのだが、会社は創立したてとは思えない程しっかりとした事務所ビルを構えていて、所属タレントへのサポートや設備も充実していた。ちなみに寮に関しては任意だったのだが、説明会にて紅さんに「やる気のあるヤツはどうぞ~♡」と焚きつけられ、ほぼ全ての子が入寮している。
 親元を離れるのは少し不安だったけど、実家には日帰りで顔を出せる距離だし、寮には同世代の子も沢山居るので、いざ始まってみればすんなりと馴染む事が出来た。毎日の歌やダンスのレッスンも俺は意外と楽しめるタイプで、日々積み重ねるにつれ、自分がどんどん上達していくのが目に見えて分かって嬉しかった。
 それにこれはまだ所属タレントが多くない今だけの特典というべきか、レッスン中、たまーに紅さんが直々に様子を見に来てくれるのだ。しかもレッスンに口出しするついでに、ちょっとステップを見せてくれたりして、初めて生で目にした時は感激しすぎて膝から崩れ落ちそうになった。
 とにかく諸々の出来事が最初こそ信じられなかったにせよ、段々とこの状況も日常になり始めている。目標に向けて日々切磋琢磨している集団での生活は、ヒリヒリする事もあるけれど、今まで経験出来なかった沢山の刺激を貰えている。
 
 さて、そんな充実した毎日を送っている俺だけど、実は最近ちょっとした悩みがある。
 それは……紅さんのパーソナルスペースがめちゃくちゃ狭い件についてです……!!
 
 
 
「ゆーき♡ お疲れさ~ん♡」
「ひえッ!? おっ、お疲れ様です!!」
 レッスン終わり、かるーい調子の声と共に肩に手が回された。振り向けば、今日もニコニコとご機嫌そうな紅さんの顔がそこにあった。
「何だよその化け物に遭遇したみたいなリアクション。大好きな紅さんですよ~?」
「い、いや……あの、ちょっと、距離近いかな~って……」
「いいじゃんいいじゃん。つかユキちゃん汗かいてんのにめっちゃいい匂いする~何で~?」
「やめて下さい恥ずかしいですッ!!」
 紅さんはフランクでフレンドリーで、事務所の誰に対してもこんな感じなんだけど、その中でも特に俺に対しての距離が群を抜いて近い。いや自惚れとかそういうヤツじゃなくて、事実としてガチで距離が近い。
 ただでさえ俺は「オーディションで社長に連れ去られた奴」としてちょっとした噂になってしまっているというのに、その上この距離感のせいで悪目立ちするどころの騒ぎじゃない。まぁ幸いにも、それを妬んでどうこう言う子は今のところ俺の周りには居ないが、だからといって紅さんに毎度毎回こんなに接近されてはそもそも俺の身が持たない。
 紅さんにとって俺は事務所に所属するただの一アイドル候補生なのかもしれないけど、俺にとって紅さんは神にも等しい存在。そんな人に会う度会う度、肩や腰を抱かれて、間近で微笑まれ、頭をナデナデされようもんなら、ドキドキしすぎて心臓が大爆発しそうになるわ、眩暈でぶっ倒れそうになるわで毎日がエキサイティング極まりない。大好きなアイドルって、遠くから眺めているくらいの距離感が一番平和で幸せなんだなぁと身をもって思い知らされた。
 
「俺はユキともっと仲良くなりてぇんだけどな~?」
 その件を改めて本人に直談判しに行った所、紅さんは社長椅子をくるりと回して唇を尖らせた。くっ、俺の推しって格好いいクセにこういう可愛い所もあって卑怯すぎ……じゃなくて!
「仲良くって……紅さんと俺ってつまり社長と社員ですよね? そんな友達みたいなのは、ちょっと違うんじゃ……」
「えー? でもユキは俺の事好きなんだろ? オーディションの時の熱烈アプローチ一生忘れねぇかんな〜♡」
「それは好きの種類がまた違いますっ!」
「好きに種類なんてなくなーい? 好きは好き、嫌いは嫌いだろ。ユキは俺と仲良くしたくねぇの?」
 仲良くしたくないかだって? 俺が? 一色紅と? そんなの考えられるわけないじゃん! だって「神様と仲良くなりたくない?」って聞かれてるようなモンだよ!? そんなの返事に困るでしょ!
「紅さんに対しての好きは、仲良くなりたいとかそういう次元の話じゃないんです! むしろ少し離れた位置から一生拝んでいたい! 仲良くなるなんて恐れ多い事考えられない! 聖域神域不可侵領域なんですっ!!」
「あーはいはい分かる分かる。ドルオタ特有のそういうヤツね〜。でもさ〜ユキちゃん、俺もうアイドル引退してんだわ。心の中で一生推してくれんのは光栄だけど、現実の俺はこの先実業家としてやっていきたいわけよ。だから社員とは腹割って話せる関係築いていった方が健全だろ? 分かる?」
 俺はうっと言葉に詰まった。基本的に子供みたいにキャッキャしてる紅さんが、こうやってたま〜に大人として至極真っ当なド正論を言ってくると反応に困ってしまう。
 確かにそれはそうだけど……紅さんを神様扱いしてるのは俺のエゴかもしれないけど……! でもだからって俺には俺の気持ちがあるし、はいそうですかと距離を縮める事なんて出来ない!
 どう言い返したらいいのか分からずまごついている俺を前に、紅さんは目を細め、何かを考える素振りを見せた。
「……あ、じゃあいい事思いついた。ユキ、俺んち来る?」
「…………はっ?」
 次に出てきた提案が斜め上すぎて、俺は一瞬言葉を失った。
「……な、なんで……?」
「だってユキちゃんさぁ、理想が先に立ちすぎてて俺への神格化が止まらないわけだろ? だから俺もただの人間だって事が分かればもーちょいマトモに付き合えるんじゃねぇかなーって思って。ちょうど今ハウスキーパー入れる直前だし、一番散らかってるからめちゃくちゃグッドタイミングじゃね? 男の一人暮らし見たら幻想なんて簡単にぶっ壊れんだろ」
 言い切ると、紅さんはぱちんと両手を打ち付けた。
「さっすが俺~! やべぇこれ天才の発想じゃね? よっしゃ決~まりっ♡ そうと決まれば今から早速行こうぜ~!」
 俺のリアクションを待たずして、勝手に自画自賛して勝手に話を纏める紅さん。事態が飲み込めず混乱している俺をよそに満面の笑みで立ち上がり、ぐいぐいと手を引いて歩き出す。
 もう少し適度な距離感を保って欲しいと直談判しに行ったはずが、聞き入れて貰えるどころか逆に言いくるめられ、何ならさらに距離が近くなるようなイベントが発生してしまった。この、俺の意思ガン無視の強引極まりない感じ。どうも覚えがある。
 ……あぁ……あのオーディションの時も、そういえばこんな感じだったっけ……。
 
 
 
 連行された場所は、都心の一等地にあるタワーマンションだ。とはいえまさか電車やバスで移動するはずもなく、さらに言うとタクシーすら使わず、オーディションの時のように運転手つきの車が手配された。
 車体はエントランス前の車寄せではなく地下駐車場へ滑り込み、奥にある扉付近で停車した。すぐにドアを開けてくれた運転手さんはあの時と同じ人で、きっとこの人が紅さんお抱えなのだろう。
 扉にはセキュリティロックがかかっていて、紅さんが扉横の装置を覗き込むと開錠される音がした。生体認証っていうヤツで、登録された入居者の虹彩で開くんだぜって、楽しそうに教えてくれた。
 階段を上っていくと、直通でエントランスロビーに辿り着く。開放感のあるロビーは家財道具や調度品で彩られ、広くて綺麗で何ならここに住めそうなくらいだ。そして常駐しているコンシェルジュさんに会釈されながらエレベーターホールへと。カードキーを使わないと乗れないエレベーターで一番上の階まで登り、オレンジ色の照明が設置された内廊下を歩く。共用部は静かで手入れが行き届いていて、どこもかしこも住宅というよりはまるでホテルのような佇まいだ。セキュリティといい、このいかにも高そうな物件といい、紅さんがどういう立場の人なのかという事を改めて思い知らされる。非日常的な空気に圧倒され、きょろきょろと辺りを見回しながら落ち着きのない俺の一歩前を、紅さんはなんて事ない様子で鼻歌混じりに歩いていく。まぁ、紅さんにとっては家だから当然だ。
「はいこーこ。どうぞどうぞ~冗談抜きで散らかってますが~♡」
 最後に扉の前でカードキーをかざすと、いよいよそこが玄関だ。入るなり早速靴が何足か散らかされていて、どれも靴底が赤色なのが紅さんっぽくて印象に残った。今まさに脱ぎ捨てられた靴も同じデザインだ。そして脱ぐだけ脱いでやっぱり揃えようともせず行くものだから、俺も慌てて靴を脱ぎ、自分のものと、あとはせめて今紅さんが脱いだ靴を揃えて後を追った。
 そして扉の先のリビングはというと……家主の謙遜などではなく、確かにごちゃごちゃと物が溢れていた。
「な? きったねーよな」
 自分が散らかしたくせにまるで他人事のようなノリで紅さんが問いかけて来る。ここで「はい汚いです」と言えるほどの度胸は俺にはない。
「あ、えと……でもなんか、服ばっかっていうか……散らかってるけど、生活感のある汚さじゃないっていうか……」
「あ~そうね。俺ほぼ家でメシとか食わねーからさ~、確かに生系のゴミは出ねぇんだよな。ただ服は好きなんだけどマジで片付けんの不可能すぎてよぉ、クリーニングも処分も何もかも全部ハウスキーパーに任せてっから、自分が何持ってて何持ってないとかもはや把握できてねぇんだよな~」
 で、その状態で買い足して、さらに片付けられなくなると。一人で勝手にオチをつけてけらけらと笑った紅さんは、使用感の全くない、モデルルームのようなダイニングキッチンへと足を伸ばした。
「その辺テキトーに座って〜。場所無かったら邪魔なモン傍に寄せてな〜」
 どうやら冷蔵庫を覗いて中身を物色し始めた様子なので、俺もひとまずリビングへと視線を戻した。
 本人の言う通り、床にもソファの上にも至る所に服が散らばっている。脱いだら脱ぎっぱなし、出したら出しっぱなしといった雰囲気だ。俺も実家に居た時はよくこういう事をして親に怒られていたので、ほんの少しだけ親近感が湧いてくる。他にはアクセサリーやショッパー、それに混ざってタバコの空き箱や紙くずなんかも点在していて、机の上には山のように吸い殻が積み上がった灰皿が。そしてでっかく「社外秘」と書かれた書類まで雑に放置されていて、俺はそっと目を逸らして見て見ぬフリをした。
 邪魔なものを傍に寄せると言っても、俺ですら見た事があるようなハイブランドのロゴがついた服を雑に扱うのも憚られる。それらを恐々と手に取ってひとまずソファの上に避難させていると、ふと、部屋の隅っこにある大きな段ボール箱が目に止まった。
「……?」
 散らかっているとはいえ、インテリアはオシャレに統一された室内で、少しくたびれた飾り気のない段ボール箱は場違いで目を引いた。気になってそちらへと歩み寄り、中を覗き込んでみると……。
「えーーーッ!?」
「うおっ!? 何!?」
 俺は驚愕のあまり大声を上げて紅さんを驚かせてしまった。だけどこればっかりは仕方ない。何故ならそこには、紅さんの現役時代に販売された写真集や、特集が組まれた雑誌、ライブDVD等の出版物が詰め込まれていたからだ。
「こっ、これっ! これ今までのライブDVD!? 全部あるんですか!? あーーー!! っていうかこれ!! この写真集見たかったヤツうっ!!」
「……あぁそれね。出版社から送られてくんだけど、俺過ぎた事にマジで興味持てなくてさ〜。結局段ボールに突っ込みっぱなしなんだよな。そこに置いてあんのはわりかし最近のヤツで、あっちの部屋にはもっと古いのもあるぜ。デビューして間もない頃のヤツもあるんじゃねぇの?」
「まっ、マジっすか!!?? マジっすかあぁっ!!!!????」
 宝の山を前にして興奮が抑えきれない。なにせ俺が紅さんを知ってから引退までの期間はわずか一年にも満たない。しかもその間俺はこじらせファンをやっていたせいで、ライブには行かなかったし、買えたグッズは最後に発売された写真集のみときたものだ。その事をマリアナ海溝よりも深く後悔している俺にとって、この目の前の出版物達はどれもこれもが垂涎モノ。しかもデビュー当時のものすらあるだって!? つまり若かりし頃の紅さんて事!? いや今でも十分若いけど! とにかくそんなお宝映像絶対見たいに決まってる!!
「何なら見たいの貸してやろうか?」
「!? い、い、い、いいいいいいんですかっっ!?」
「おう好きなの持って帰れよ」
「ありがとうございますっっっ!!!!」
 紅さんからお許しが出るや否や、俺は中身を底の方からほじくり返した。うわああああ! ここにあるライブDVD、全部特典映像付きの初回限定版だぁ……! ライブ前後の裏話と、仲の良いスタッフさん達とわちゃわちゃやってるオフショット、ほんとはすっごく見たかったヤツ……! っていうかこっちの写真集、引退発表後とんでもない値段で転売されてたやつじゃん!! 有名なフラワーアーティストとのコラボ写真集で、紅さんお得意の妖艶で極彩色な世界観は勿論の事、普段とは少し違う透明感のある切り取られ方もしてて、めちゃくちゃ評判よくて気になってた……。あぁ尊い!! この本体が今俺の背後で冷蔵庫漁ってるなんて信じられないぃぃ……!!
「いやユキちゃんそれ持って帰れる〜?」
「ぅ……でもぉ……全部見たい……」
「またいつでも貸してやっから、とりあえず両手で持てる分だけにしときなさいって」
 選ぶ事なんて出来なくて、段ボールから出した端からお持ち帰りせんと積み上げている俺の様子を見て、紅さんが苦笑を一つ。その手にはペットボトルと缶ビールが握られている。
「なぁなぁ、案の定ジュース的なのなくてよぉ、辛うじて炭酸水ならあったからこれでいい?」
「あっ、えっ、は、はい! っていうかそんなのお構いなく!」
「それかビール飲む?」
「いや、俺未成年……」
「あれ? 酒って何歳からだっけ? まぁいいや~」
 冗談なのか本気なのかよく分からないトーンでそう言った紅さんは、ビールのプルタブを捻りつつ、今度はテレビボード周辺を物色し始めた。
「でもユキちゃん、格好いい紅さんを見てお勉強もいいですが~、それより今日は……こういうの見てみな〜い?」
 にやにやと目を細めながら取り出されたのは……肉感的な美女があられもなく裸体を曝け出しているパッケージのDVD。ピンク色の文字で印刷されたいかにもなアオリ文と、肌色だらけの画像達を見れば、遠目からでもそれが何なのかが分かってしまうシロモノだった。
「ッ……く、紅さんも……そういうの、見るんですね……?」
 びっくりして目のやり場に困ってしまって、視線を逸らしながら何とかそれだけ口にする。
「え? 見るんですねどころか俺こういうのだ~い好き♡ 男は皆好きだろ。ユキだって、その年になりゃスマホでエロいのくらい見るだろ~?」
「……ぅ……」
 全く否定は出来ない。小さく頷く俺に満足そうな笑みを返してから、紅さんはDVDをセットして、ソファにどっかりと腰を下ろした。
「ほら、突っ立ってねぇでここ座んな」
 紅さんが隣のスペースをぽんぽんと叩いたから、俺は少しだけ間を開けて腰を下ろした。だけどすぐに肩に手が回ってきて、ぴったりと体を引き寄せられてしまう。密着した洋服越しに紅さんの体温が伝わってきてどぎまぎする。さらに、温かい手のひらは俺の肩から下へと滑り、腰にたどり着いてそのままの位置で落ち着いた。し……しまった……! 迂闊に逃げられない体勢になってしまった……!!
「ユキは最初の導入とか見たい派~? あれ邪魔だって言うヤツも居るけどさぁ、俺は趣あって結構好きなんだよね~♡」
「え? 導入……? 俺、こういうちゃんとしたヤツ見た事ないから、よく分かんない、です……」
「え~そうなん? じゃあ今日がユキちゃんのAVデビューじゃ~ん♡ めでてぇめでてぇ♡」
「その言い方だと意味違って聞こえるからやめて下さいっ!」
「はいはいは~い、始まりますよ~~~~♡」

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