小説

暑き夜の汗雫

letm_official
R18/守屋武蔵×朔宮月影

2018年夏にpixivに投稿したものです。前半は家族でほのぼのお祭り風景、後半は武蔵君×月影さんの汗だくセックスです。愛されまくってるせいでどんどん感じやすくなっちゃって、身も心も熟れきってもうグズグズ。みたいなの、すっごいスケベな上に幸せで最高だと思うんですけど、メスおじさん好き増えろ…!

 夏の盛りともなれば、午後六時を回ってもまだ空は明るく、空気は熱を持っている。
「浴衣って、袖があるから案外暑いモンですよね」
 そんな中、うちわで風をおくりながら、武蔵がぽつりと愚痴をこぼした。彼は、今しがたの言葉通り、グレーにしじら織りが施された浴衣に身を包んでいた。
「え?あ、あぁ。そうですね」
 そして隣にいる月影は、濃紺のシンプルな浴衣を着ているのだが、こちらはなにやら落ち着きのない様子でしきりにスマートフォンを気にしている。武蔵の言葉に返す声も、どこか上の空だった。
 先程…というより、出かける準備をしている頃からずっとこの調子である。武蔵はげんなりとした溜息を零した。
「つーかそわそわしすぎ。こっちまで落ち着きなくなってくるからやめてくんない?」
「そんな事言われても!久々の夜風君なんですよ!?そわそわくらいさせて下さい!」
「こんのジジバカが!」
 なんて武蔵がつっこんだ所で、月影のスマートフォンが着信を知らせた。電話は逃げも隠れもしないというのに、普段はお目に掛かれない程慌てた様子で通話ボタンをスライドさせて勢いよく耳に押しつける月影。そんな様を横目で眺め、またも嘆息してしまう。
「はいっ!…はい、もう着いてます。ええ、武蔵君も一緒です。…えっと、屋台が並んでいる通りの入り口に休憩所みたいな場所があって、そこに…え?近くに居るんですか?…あっ」
 きょろきょろと辺りを見回しながら通話をしていた月影の表情が、分かりやすく綻んだ。目線の先を追ってみれば、スマートフォンで通話をしながらコチラに向かって手を振る仁亜と、その半歩後ろを歩く甚平姿の影縫。そして足元に引っ付くように、同じく甚平を着た夜風が歩いてきている最中だった。まあるい大きな瞳が、月影の姿を目にした途端に、ぱあっと輝くのが見て取れた。
「じいじーーーーー!!!!」
「夜風君!」
 小さな体は、甲高い声を上げながら、満面の笑みで月影に向かって猛ダッシュ。からの、しゃがみ込んで腕を広げた月影に向かってのダイビングハグ。これぞまさに、絵にかいたような感動の対面、といった様子に、それぞれの保護者(仁亜、影縫。そして武蔵)は笑うしかない。
 今日は、門前町をあげて執り行われる大規模な夏まつり。影縫と仁亜が、夜風を連れて泊りがけで遊びに来てくれたのだ。
「あのね、あのね、おとうさんと、おかあさんとね、でんしゃでね、ガタンガタンてね」
「うん、うん」
「武蔵、久しぶり」
「…久しぶり」
「おう。見違えるほど程デカくなったな」
「一週間単位で大きくなるからね。最近はおしゃべり始まると止まらないからね」
「影縫と並んでると、親子っていうより年の離れた兄弟みてぇな」
「月影さんがお父さんでも違和感ないからね。っていつまでイチャついてるんですかねあの二人は~」
 たどたどしくおしゃべりをする夜風の言葉を、抱きしめたまま聞いてあげている月影の様子を茶化す仁亜。世の祖父母の常識に漏れる事なく、月影は夜風の事がめっちゃ可愛くて仕方ないと思っている。何でもしてあげたいし買ってあげたいし、一度くっついたら磁石の如くしばらくは離れない。甘やかしすぎて息子夫婦から注意を受けるのは、もはや恒例行事である。
「夜風君。ほら。武蔵君にも、こんばんはってしてあげて?」
 お喋りが一段落した所で、夜風を抱き上げた月影が武蔵の目の前に連れて行く。武蔵が顔を覗き込むと、夜風は恥ずかしがって月影の肩口に顔を押し付けてしまった。
「夜風~、俺の事覚えてるか?こんばんは」
「…んー…」
 武蔵とは顔を合わせた回数も少ない分、人見知りしてまごついてしまう夜風。しかし興味はそそられるようで、ちらりと様子を伺った後、はにかみながら「こんばんは」と。
 基本的に、庇護欲に旺盛な生き物が大好きな武蔵は、それだけで心を鷲掴みにされた。ふー…と、自身を落ち着けるように一息ついてから、仁亜へと向き直る。
「おい仁亜。コイツ言い値で買うわ。いくらだ?」
「残念だったな非売品よ」
 ぴしゃりと一蹴されるのは、当然の成り行きである。
 そんなこんなで五人は、色とりどりの電飾の中へと歩き出した。
 

  
 祭囃子を聞きながら、夜風の我が儘に振り回されつつ、屋台の列を見て回った。その中で、仁亜、夜風、武蔵の三人が射的の屋台に臨んだ折、意図せず月影と影縫が二人だけで取り残される事があった。
 基本的にどちらも姦しく喋るタイプではないため、家族で会うとどうしても、他三人を挟んでの会話ばかりになりがちだ。久方ぶりの二人だけの時間は互いに少々照れ臭く、場はしばらくむずがゆい沈黙に包まれる事になる。
「…久しぶりだな」
 そんな中、先に口を開いたのは影縫だった。
「うん、久しぶり。元気そうで良かった」
「父さんも」
「仁亜さんとは上手くやれてる?」
「ん。…武蔵とは?」
「うん。たまに喧嘩するけど」
「…うちも。仁亜がよく勝手に怒ってる」
「ふふっ」
「母さんも、よく勝手にぷりぷりしてたもんな」
「…覚えてるの?」
「うん。父さん、楽しそうに怒られてた」
「…」
「喧嘩はともかく、武蔵に何か酷い事されたら、すぐ言えよ」
「されないよ。武蔵君はそんな事絶対にしない。影縫だって、もう分かってるでしょ?」
 射的の景品で、大きなぬいぐるみを撃ち落とし、仁亜に抱かれた夜風と一緒に喜んでいる武蔵の様子をじっと眺める影縫。初めは人見知りした様子だった夜風も、あっという間にべったりになってしまった。
 そうやってしばし涼やかな鳶色を注いだ後、影縫はふと口元を柔らかくし、瞼を下した。
「…うん…分かってる…」
「じいじー!おとーさーん!むさしくん、くまさんくれたー!!」
 ほんの少しだけ寂しげにも聞こえる声色は、幼子の屈託ない大音量によって打ち消され、祭の空気に霧散した。
「やあっぱ武蔵上手いんだわ。デカイの取られてテキヤのおっちゃん吃驚してた」
「夜風にモテるためなら何だってするよ俺は」
「むさしくんすきー♡」
「だろぉ?じいちゃんも居るし、うちの子になるだろー?」
「なるー!!」
「チョイチョイ誑かそうとするのやめてよ!ちょっと縫ぃ~!可愛い息子がとられそうになってますよ~!」
 すっかり懐いた夜風にデレデレとした様子の武蔵に、徐に影縫が歩み寄る。武蔵より上背が低いにも関わらず挑発的に顎を上げ、眼前でふてぶてしくもねめつけて…
「プレゼントどうも有難う」
 そして、とげとげしい声で一言。ちょっと気が弱い人間なら萎縮してしまうであろう武蔵相手にデカイ態度をかまし、ふん、と鼻をならして仁亜からべりりと夜風を引き剥がし、月影の元へと歩いて行ってしまった。
「…いやそれ礼言う態度じゃねぇだろ!喧嘩売ってんのか!?」
 突然の敵対心に武蔵は一瞬呆気にとられた後背中に向かってがなり、その隣で仁亜は口元を押さえながら笑いを噛み殺している。
「あのファザコンどうにかなんねぇもんなの…?」
 孫にちょっかいを出す月影の様子を、まるで恋人か何かのように微笑まし気に眺めている後ろ姿に対して思わずぽつり。肩を震わせつつ仁亜がぱたぱたと手を振った。
「あー、おかし…。無理無理。縫はもう自分のファザコン認めて開き直っちゃってるから。もう怖い物無しだから」
「あの電波が開き直ったら、そりゃ怖いモン無しだわな」
 ちょっとズレたパートナーを持つ者同士、何かと気が合う武蔵と仁亜が、隣に並んで歩きだす。
「つーか、理解出来ねぇんだけど。俺も父親の事尊敬はしてるけど、まかり間違ってもああはならねぇよ」
「まぁ普通はねぇ」
 武蔵の言葉に同意しつつも、他に思う所があるのか、仁亜は三人の後ろ姿から視線をどこともない場所に投げて空気を吸い込んだ。
「でもさー…アタシ、子供産んでみて分かった事があるんだけど…子供ってきっと、大人が思ってるよりずっと、親の事よく見てるし、役に立ちたい、助けたいって気持ちがあるのよ。特に男の子は、ヒーローになるのが好きだから。お手伝いしてくれた時に「ありがとー♡すごーい♡」なんて言おうもんなら、もう大喜びで次々やってくれる」
「男って基本バカだよな。褒めときゃ体よく動くもん」
「ああ、身に覚えある?」
「身に覚えあるどころか、それで月影さんに転がされてる感じする。でも分かってても止められねぇの。バカだから」
「ぷっは!!」
 武蔵の物言いに思わず噴き出した後、さらに言葉を次ぐ。
「…だからさ、華菜さんが亡くなった時に、月影さんが悲しそうにしてるの見て…自分がお父さんを守るんだ。自分がお父さんを幸せにしてあげるんだって、ちっちゃい縫ちゃんは決めたんじゃないかな。今もずーっと、その時に決めた事を、無意識にでも守り続けてるんだろうね」
「…」
「そんで月影さんもさ、縫が居るから生きてたんだと思う。子供を育てるって、簡単じゃないし、責任も沢山あって、たまに嫌になる。けど…その責任感が命綱になって、アンタと一緒になるまで生きてこられたんだと思うよ」
 仁亜の言葉の裏側には、子を持つ母親だからこそ醸す事の出来る説得力と重みがあった。思いがけぬ鋭くも優しい意見を、武蔵は咄嗟に噛み砕く事が出来ず、仁亜の横顔をしばし眺め…結局そのまま何も言わず、足元に視線をたゆたわせた。
「だからあの親子は、きっとあれでいいの。妬くのもいいけど、イチャイチャくらい目を瞑ってあげなさいな」
 ころん。仁亜の手の中で、夜風の飲み残したラムネのビー玉が、軽い音を立てた。
「…別に…ガキに嫉妬なんてしねぇけど」
「ぶふー!!しwてwるwじゃwんwwwwどの口がwwwww」
「うるっせぇなぁ!!口にベビーカステラ詰め込むぞ!!!」
 居心地が悪そうに早足になり、僅かばかり仁亜と距離をとる武蔵。視線の先に、相も変わらず夜風を挟んで楽しそうにもちゃくちゃやっている光景を捉え、今しがた与えられた言葉を反芻する。
『その責任感が命綱になって、アンタと一緒になるまで生きてこられたんだと思うよ』
 瞳は自然と、月影の幸せそうな横顔にピントを合わせた。険が取れ、頑なさが取れ、優しく息子と孫を見つめるその表情に。
 ただの上司部下だった頃から数えると、もう十年以上になるだろうか。その間に色々な事があった。色々な事を知った。色々な表情を見てきた。まだ今より随分若かった頃の、どこか作り物じみた笑顔も、時折見せる消えて居なくなってしまいそうな生に対する無頓着さも、全て知っている。自分を虐めるように仕事を詰め込んで、好きでもない相手をとっかえひっかえセックスして、そうやって無意識の自傷を繰り返しながら、失ったものに囚われていたのを知っている。
(…俺じゃないのが悔しいけど、アイツのおかげで月影さんが生きてたなら、それでいい)
 冷え固まった月影の心にヒビを入れたのは、自分であるという自負はある。
 だが、生きるという大前提を与え続けていたのが影縫であるならば、もうそれはそれで結構だ。今、月影は幸せそうにしている。それ以外に大切な事なんて何もない。間違いなく、武蔵は今の月影が一番好きだ。それでいい。
 ほんの少しの不本意さと対抗心は腹の中に飲み込んで、口角を持ち上げた。
「まぁ、こっからは俺のターンだけどな」
 そして不敵に呟いた後、歩幅を広げて三人の後を追ったのだった。
  
 
 
 そんな風に祭りを満喫していたのだが、それぞれ簡易トイレの列に並んだ後、ごった返す人の中で戻り場所をはっきりと決めていなかった事が仇となった。どうやらはぐれてしまったらしく、待てど暮らせどお互いの姿が見つけられない。
 延々と呼び出し音だけが響くスマートフォンを下ろして、月影は表情を曇らせた。
「ダメです。電話出ません」
「ふーん。チビ連れてバタバタしてんじゃないですか?夜風一人ではぐれたワケでもなし、親も一緒だから別にどうってことないでしょ。そのうち連絡寄越しますって」
「……」
 さして気にした風でもない、からりとした武蔵の言葉は、言われてみればおっしゃる通りである。はぐれた寂しさとは別に妙な焦燥感に駆られていた自分に気付き、冷静に戻った月影は思わず笑いを零してしまった。耳ざとくそれを聞きつけ、武蔵もにやりとあくどく笑う。
「思い出し笑いってすけべな証拠らしいですよ」
「違いますよ!その、今の武蔵君の言葉聞いて気付いちゃったんですけど」
「?」
「私、夜風君の事もそうなんですけど、影縫がはぐれたらちゃんと見つけてあげなきゃって思ってるみたいです。いまだに…」
「ぶっ!親にとって子供は幾つになってもってヤツだ」
「ナイショですよ!絶対機嫌悪くさせるので!」
「言わねーよわざわざ」
 機嫌がいい様子の武蔵の手の甲が、月影の手の甲にコツリと触れた。
「まぁ…」
 それから手のひらが重なり指が絡み
「思いがけずデートになったみたいだし、これはこれでいいんじゃないっすか?」
 間近で破顔した次の瞬間に、ぱっと離れていった。
(…武蔵君が嬉しそうだから、いいか)
 正直、影縫達と離れてしまったのはいささか萎える出来事ではあったのだが、すぐに別の意味での楽しみを見つけてしまった武蔵のおかげで気持ちが切り替わった。「そうですね」柔らかく微笑んだ月影は、武蔵の言葉に同意して、隣に並んだ。
「俺リンゴ飴買うけど、月影さんも何か食う?」
「リンゴ飴好きなんですか?」
「ん?…んー…言われてみりゃ別に好きじゃねぇけど、祭りっつったらやっぱリンゴ飴だろ」
 すぐにリンゴ飴の屋台を見つけ、小さいサイズのものを購入する武蔵。月影はといえば、この暑さの中でべったりとした砂糖の塊は少々腰が引けてしまったので、斜め向かいにあったかき氷を購入した。
 人の流れから少々外れた位置にあるブロック塀に背中を預け、何時の間にやら提灯の明かりが映える暗さになった祭りの風景を、二人で甘味を味わいつつ眺める。
「ガキの頃、やっぱ夏休みが一番楽しかったから、今でも祭りの空気でワクワクするんだろうな。小銭握りしめてあっつい中ツレと走り回って、屋台で金魚だのひよこだの掬って持って帰って怒られたりしてさぁ。…つか、こういうの思い出してしんみりするの自体もうオッサンの証拠だよな。あーヤダヤダ」
「それ言われるといよいよ私の立つ瀬が無くなるんですけど…」
「月影さんはいいんだよ。そういうの超えた所に居るから」
「ええ?」
 飴を齧りながら無茶苦茶な理論を押し付けてくる武蔵に苦笑しつつ、月影も、赤色の氷をさくさくと掻き回す。ふわふわだったかき氷は熱さに負けて、早くも半分近くが色のついた砂糖水になってしまっていた。
「…懐かしいなぁ。久々に祇園祭も見に帰りてぇなぁ」
 行き交う人を眺めつつのしばしの沈黙の後、武蔵がぽつりと口を開いた。
「それなら私も是非ご一緒したいです!」
「おっ、めずらし」
 なんともなしに口に出した願望に、月影が思いのほか食い気味にノってきたため、若干驚いた様子であった。だがすぐに、嬉しそうに口元を綻ばせる。
「じゃあその時はウチの旅館泊まろうぜ」
「そんな繁忙期に、お部屋取って頂けるんですか?」
「取れなきゃ母屋で寝りゃいいよ。ま、何だかんだいいつつこじ開けてでも取りそうだけどウチの親」
「千尋さんのお料理愉しみです。あのひろうす食べたいなぁ」
「俺も。オトンに言っとくわ」
 祇園祭が見たいのは本当だが、それ以上に、地元に帰ると嘘のように訛り倒す武蔵の方言だとか、気が抜けて緩んだ空気感、家族に温かく迎え入れられている所を見るのが、月影は好きだった。もう自分の目では見られない場所にある彼の過去を、ほんの少しでも垣間見られる気がして。
「それなら仕事のスケジュール調整しねぇとな。今年はもう無理かもだけど、来年なら早めに考えとけば…」
 楽しみな気持ちを隠しきれない様子で青写真を描く武蔵の横顔を、微笑ましく眺めていると、突如、どぉん!という腹に響く低音と共に夜空が明るく光った。
 ひゅ~~~~るるるる……どぉん!
「花火!始まったんですね」
 それを皮切りに、次々と色とりどりの光が散りばめられていく。好き好きに行き交っていた人混みもみな歩みを止め、一斉に空を仰ぎ見る。
「月影さん」
 そんな、普段見る事のない圧巻の光景に目を奪われていると、隣から声がかけられた。騒音の中でも何故かよく聞こえるその声に、はっと興味を引き戻される。
 武蔵は、花火ではなく、月影に視線を注いでいた。先程まで無邪気に祭りを楽しんでいた様子はナリを潜め、瞳の奥に、熱っぽい色を孕ませている。
「誰もこっち見てない」
 そして一言。
 言わんとする事を察した月影は、一瞬唇を引き結び、それから周囲に視線を巡らせた。成程確かに武蔵の言う通り、皆一様に、空に浮かぶ光の花に釘づけだ。人ごみの一番外側に居る自分たちなど、誰一人の視界にも入ってはいないだろう。
 再度、武蔵に視線を戻す。殊更真剣な表情で、じっとこちらを眺めてくる顔の片面が、花火の光で断続的に照らされている。
 いっそ清々しい程に花火を無視して真っ直ぐ注がれる視線と、開放的な夏の空気に、あてられた。
 重低音と、眩しい光の中で触れ合わせた唇は、安っぽい砂糖の味がした。伝わる体温はいつもより少しだけ高くて、歩き回って噴き出した汗の匂いがふわりと鼻孔を刺激する。
 僅かに開いた唇の隙間から、どちらともなく舌が覗いて、遠慮がちに触れ合った。絡めるでもなく、互いの口内に入るでもなく、何度か角度を変えて押し付け合ってから、名残惜しそうに離れていく。
 時間にして、僅か数秒だった。
 だけど、顔を離す時のお互いの視線は数秒前より格段に熱を帯びていて、楽しそうに歓声を上げながら夜空を見上げる群衆の中で、二人はあまりにアンバランスだった。
「月影さん」
 もう一度、武蔵が月影を呼ぶ。
「…帰っちまおっか?」
 ことりと首を傾げて、目を細め、悪戯臭い中にも情欲を隠しきれない表情でそんな事を言われてしまえば、はぐれた息子夫婦の事はもう、断る理由に足りなくなる。
 黙って首を縦に振った。

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