小説

ネコ縫さんと仁亜ちゃん

letm_official

はじめてのアルバイト


 公序良俗に反する恰好をしていなければ、人型になった動物が外を出歩く事は珍しくない世の中である。至る所にぴょこんと耳の立った人型を見かけるし、飼い主が人型でペットを連れ出す事も少なくない。
 てなわけで体験出勤の日、家から人間の足で徒歩15分程度の職場に、影縫は人型で向かっていた。仁亜は「キャリーバッグに入れて送ってあげる」と言っていたのだが、本当に勤める事になれば毎日そうしてもらうワケにもいくまい。今のうちに道を覚えて慣れておきたいので、「自分で行く」と飼い主の好意を断った。ちなみに、慣れない場所に一人で出て行って、迷子になって帰ってこれなくなるんじゃないかなぁ、という心配が、「送ってあげる」と言った仁亜の本音である。こうなってくると飼い主ではなく最早お母さんだ。
 
 だが仁亜の心配も杞憂に終わり、影縫は迷わず時間通りに猫カフェに到着した。たまに近所のスーパーに買い出しに行ったり、仁亜に連れられて遠出したりする事もあるので、完全な家猫とは違い出歩き慣れているのだ。これぐらいなら簡単、簡単。
 
「こんにちは……」
 
 半分程扉を開き、おずおずと店内を覗き込む。すぐにこの前説明をしてくれたスタッフのお姉さんが気付いて駆け寄ってきた。
 
「あらあら、ネコちゃんだけで来店なんて珍しい……と、思ったけど開店前だし、もしかして影縫君かな?」
 
 どうやら雰囲気でそれと分かったらしい。影縫が一つ頷くと、「やっぱり!」と嬉しそうな顔。
 
「人型になっても髪の毛ツヤツヤだね~。お洋服もよく似合ってるし、飼い主さんに可愛がってもらってるんだねぇ」
「ん……」
「もしかして緊張してる? 大丈夫大丈夫。お客さんもスタッフもいい人ばっかりだから。じゃあとりあえず奥に行こっか」
 
 頭をぽんぽんと撫でられてから(ネコの時の扱いと全く変わらない)スタッフルームへ。どうやら、小柄な背丈に薄茶のおかっぱ頭のこの女性が店長さんらしく、名前が「百合」と言うそうだ。本人は「もっちゃんって呼んでね!」と言っていた。「百」という字の読み方を「もも」に変えて、もっちゃん。どうやらこだわりがあるらしい。
 
 スタッフルームでロッカーを案内され(人型で来るネコのために用意してあるそうだ。気前がいい!)もう一度簡単に仕事の内容を説明され(とはいっても、リラックスして店に居て、たまにお客さんに可愛がられればそれでいい程度の内容)その後嫌な撫でられ方はあるかとか、抱っこは大丈夫か等いくつか質問された。影縫は人見知りする方で、知らない人にいきなり抱っこされたり膝に乗せられたりするのが嫌いなので、その旨を伝えておいた。もっちゃんは笑って「分かったよ、じゃあお客さんが強制しないように注意するね」と言ってくれた。なにこの優良企業。
 
「はーい、皆聞いて聞いて。新しいネコちゃんが体験入店に来たので紹介しまーす!」
 
 そして完全に猫の状態になってから、既に店内で思い思いに過ごしていた猫スタッフ達の元に連れていかれた。もっちゃんは一応皆に声を掛けていたのだが、そこは猫相手。当然、注目もしないし集まりもしない。好奇心旺盛な子が数匹、何だ何だと寄ってはきたものの、後はちらりとコッチを一瞥しただけで自分の時間に戻ってしまった。これぞ猫。ゴーイングマイウェイだ。
 
「影縫君でーす。皆仲良くしてあげてね。いじめたり喧嘩したりしないこと!」
 
 もっちゃんが紹介すると共に、寄ってきた数匹がふんふんと匂いを嗅いでくる。ちなみに他の猫は、ぱたんと尻尾を一振りしたり、耳をぴっと動かしたりしたのみである。あーもう煩いな。そんな事しないよと言った具合だ。
 
 とりあえず、お尻の匂いを嗅ぐという猫流の挨拶をしてきたヤツには同じように返し、よろしく、よろしくと言っておく。この前仁亜の足元でじゃれていたキジサバが「あ、お姉さんの飼い猫だー」と言ったり、横に並べられたアメショが「この前の黒猫だー」と言ったり、影縫は意外と顔を覚えられていた。
 それが終わったら後は、他の猫の大切な縄張りに入らないような位置でコテンと横になった。当たり障りなくやっておくのが猫界で上手くいくコツだ。その辺は人間と大差ないのだ。
 
 そんなこんなで後は開店を待つのみという状態になって寛いでいると、さっきの一連の挨拶には参加しなかった猫が、ととと、っと影縫に駆け寄ってきた。アイスブルーのお目眼で、毛色は真っ白。長毛まではいかずとも、少し毛足の長い猫だ。
 
「俺も最近ココに来たんだ。よろしくな~」
 
 匂いを嗅がれながら出たネコ語の挨拶は、なんていうか、洋風のキラキラした見た目に似合わず案外フランクだった。とはいえ、そんじょそこらではそうお目にかかれない王子様顔。影縫が若干気圧されて何も言えずにいると、後ろで開店準備をしていたもっちゃんがその様子に気付いたようだ。
 
「あー、その子ね。ユキ君っていうの。可愛いでしょ~? スタッフの誰かを贔屓したくはないんだけど、実はもっちゃん、一番のお気に入りなんだ~」
 
 ふーん。影縫が顔を上げる。美しい白猫の頭をデレデレと撫でるもっちゃんの様子から、お気に入りであるのはひしひしと伝わってきた。そしてユキも満更でなさそうである。ゴロゴロと喉を鳴らしてもっちゃんの手にスリスリペロペロ。まるで飼い主に甘えているような仕草だ。
 
「この子も二週間前に入ったばっかりだし、仲良くしてあげてね。っていってもユキ君社交的だから心配無いか」
 
 それだけ言って、もっちゃんは少しお名残惜しそうに準備に戻っていった。ユキは影縫から少し離れた位置にコテンと横になり、毛づくろいをし始める。
 なーんか、知ってる匂いがするような? 思い違いかもしれないが、既視感ならぬ既嗅感を覚えてスンスンと鼻を動かしていると、ユキからも「会った事あるのかなぁ?」と。どうやら同じ事を考えていたようだ。
 
「ま、面識ねぇし、気のせいかな」
「……そうだな」
「その首輪、飼い主さんから貰ったの?」
「そう、最近買ってもらった……」
「いいじゃんよく似合ってる。俺もこれ、飼い主さんから貰ったんだ~」
 
 ユキも首に、スタッズのついた革製の首輪を着けていた。値が張りそうだが決していやらしくはない。控えめで趣味がよく、ユキにとてもよく似合っている。この首輪といい性格といい毛並の良さといい、きっと飼い主に溺愛されているのだろうなという事は容易に想像がついた。
 
 そんな風にユキとだべっているうちに開店の時間である。縫ちゃんの初仕事、スタート!
 

 
 
 ……とはいえ、仕事とはいったものの、大変な事は何もなかった。
 むしろ、ヒマだと思えば客が喜んで構ってくれるし、社交的なネコが「おい遊ぼうよ」とちょっかいをかけてきて同族とプチ狩りごっこが出来たりもするし、たまにオヤツがもらえたりもするし、寝たければ寝ればいいんだし、充実して楽しい時間が過ごせた程だった。
 
 午前中半日のお勤めを終え、帰り際にスーパーに寄って晩御飯の材料を買い、帰宅してあれこれと家事をこなせばもういい時間である。あれ? これってもしかして充実してる? カフェに行かなければ午後は丸々暇を持て余していた所だったので、これはいい居場所を見つけたものだと影縫は上機嫌だった。何事もトライしてみなければ始まらないのだ。
 そんなこんなで、夕飯のおかずである鮭をバターで焼いている最中に、大好きな飼い主が帰ってきた。「ただいまー!」元気よく帰宅を宣言し、台所を覗く仁亜。
 
「うわ、いい匂い。お腹へった~」
「……おかえり。もうすぐ出来るから」
「うんうん、楽しみ。ねぇ、仕事どうだった?」
「楽しかった。店長さん、良い人だったし……」
「へー。良かったじゃ~ん。店長さんってこの前の人?」
「そう。おかっぱの、ちっちゃい人」
「あー、あの人、いかにも動物大好きです! って感じだもんね。いい仕事見つけたモンねぇ」
「ん」
 
 性格上ニコニコ笑いはしないものの、影縫が嬉しそうにしているのは仁亜にも伝わったらしい。愛猫の幸せは自分の幸せとばかりに目を細めた仁亜はわしゃわしゃと影縫の髪を撫で回し、それから着替えるためにリビングに消えて行った。普段は毛並が乱れる事を嫌がる影縫だが、今日ばっかりは「まぁ、いっか」で済ませてしまえるぐらい機嫌がいい。
 
 すぐに鮭のバターソテーが完成する。影縫は魚が大好きなので夕食を作る時はついつい魚料理の比重を増やしてしまう。肉好きの仁亜は最初渋っていたりもしたのだが、アレコレと美味しい魚料理を提供するうちに、今では肉でなくとも喜んで食べるようになってくれた。しめしめ。猫は人間を操る生き物なのだ。
 
 汁物と、付け合わせのポテトサラダを盆にのせて食卓に運び、いつも通り二人で頂きますの挨拶をする。
 
「で、これからも続けるの? 猫カフェ」
「うん」
「そっか。通勤とか気を付けなさいよ?」
「分かってる」
「っつーか浮気しないでよね。あたしソコが一番心配」
「……するワケないだろ」
「ま、縫がそう言うなら信じますか」
 
 本当は大好きな飼い主と四六時中くっついていたいぐらいであるというのに、どうして浮気なんて出来ようか。やたらその点を心配してくる仁亜に呆れてしまう。むしろ影縫の方が、仁亜にいつか人間の彼氏が出来てしまうんじゃないかと心配しているのだ。仁亜は文句ナシの美人でスタイルも良くて、当然会社でもモテるらしいし外で声を掛けられているのを何度も見てきている。いつか「彼氏が出来たよ」なーんて人間の男を家に連れて来られて紹介されたりでもしたら、自分はその時どういう顔をするんだろうなんて想像をして、鼻の奥がつんと痛み、耳と尻尾がしょぼんと垂れ下がってしまった事もある。だって自分は所詮ネコ。今はこういう関係で居られているけれど、いつかはただの愛玩対象になってしまっても、なんの不思議もありゃしないのだ。
 
(……考えない、考えない)
 
 でもそれを考え始めると本気で落ち込んでしまうので、そう自分に念じて言い聞かせる。そしてそのうちに
 
「縫、今日一緒にお風呂入ろっか。慣れない事して疲れただろうし、シャンプーとブラッシングしてあげるわよ~」
「! 入る!」
 
 仁亜がニコニコ笑いながら自分を思い切り可愛がってくれるものだから、そんな悲観的な考えは、すぐに吹っ飛んでしまうのだった。
 
 今が幸せで楽しいなら、それでいっか。猫はそういう生き物なのだ。

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