小説

ブループリントシンデレラ

letm_official

謁見


 最終審査は十名前後のグループに分かれての集団面接形式。
 当然ここに集まっている子は、全員が全員のライバルだ。控室は、おおよそ俺が今まで経験した事のないような、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
(……俺、何でこんな所に居るんだろう……)
 場違いな所に来てしまったと思った。
 最終審査だから当然なんだけど、皆が皆すごくカッコいい。それこそ普通だったら一学年に一人居るか居ないかのハヤト君レベルの男の子。それがさも最低条件のようにしてこの場に集められている。
 面接のパフォーマンスのためにそれぞれが思い思いに体を動かしていて、その動きは洗練されていてとても綺麗で、きっと皆、ずっと歌や踊りを続けている子達なんだろうなと思った。俺なんかとは比べ物にならない。どうしても気後れしてしまって、俺は体を動かす事も出来ずに隅っこの壁に背中を預けていた。
 でもその反面、なんかホッとした。変に期待を持つ事も無くなったからだ。
(大丈夫だよ、受かんないから)
 やっぱりお母さんは買いかぶりすぎだ。親ってどこもそんな感じだよね。自分の子供が可愛く見えるモンだし、ああいう事言いたくなっても仕方ないよ。
 まぁいいや。ここまで来たら紅を一目見て帰ろう。俺は別に、下手っぴでも恥かいても何でもいいや。だって紅の目に俺がとまって、紅と話が出来るかもしれないんだ。その経験だけでも一生の宝物になる。明日からの勇気になる。
 このオーディションのおかげで、頑張る喜びを知れた。少しだけ、自分に自信が持てた。
 だからもういい。十分だ。
「では次のグループの方、どうぞ」
 いよいよ順番が回ってきて、係の人に促されて控室を出た。廊下でひとつ前の組の子達とすれ違った。手ごたえを感じているであろう表情の子も居れば、下を向いて唇を噛んでいる子も居る。その姿を横目で眺めていると、皆本当にアイドルになりたいんだなっていうのが伝わってきて、胸がきゅんと切なくなった。
 カッコイイな。皆俺と同級生くらいか、明らかに年下の子だって居るのに、そこまで熱意を持って「アイドルになりたい」って思えるなんて。自分のやりたい事や、進みたい道がハッキリしているなんて。
『ユキは本当に、アイドルやってみたくないの?』
 ……俺は、本当はどうしたいんだろう。
 紅に会うために始めた事のはずなのに、何度もあの日の言葉がチラついて、こんなにモヤモヤした気持ちになるのは何故だろう。
 
 受験番号順になって部屋の前に並ぶ。
 この向こう側に、紅が居るんだ。そう思うと一気に心臓が早鐘を打ち始めた。
 
 扉が開かれると、広い空間に人数分のパイプ椅子と、それに向き合う形で並んでいる大人たち。そしてその中に、居た。明らかにオーラの違う赤髪が一人。まるで体の内側から光を放っているような、勝手に視線が吸い寄せられてしまう存在が。
(……一色紅だ……!!)
 その姿を認識するやいなや、今まで感じたことのないレベルの興奮が押し寄せてきた。足元から頭の天辺まで一気に血液が駆け上り、全身の毛がぶわりと逆立った。
 書類に目を通していた紅は、入室してきた俺達をちらりと一瞥した。瞬間、まるで自分と目があったような錯覚に陥った。ライブに行って、アイドルと目が合ったっていうファンの気持ちが、生まれて初めて分かった気がした。
 ぶっ壊れるんじゃないかと思うくらいに心臓を高鳴らせながら着席する。俺の席は真ん中より少し左側。斜め向かいに座る紅との距離は、恐らく五メートルあるかないか。ライブのアリーナ席に座ったってここまでの至近距離にはならないだろう。しかもこの空間にはステージという隔たりもない。同じ場所で、同じ高さで、ほん目の前に、一色紅が存在しているのだ。もはや直視する事も出来なくて、俺は視線を少し下に外しつつ、ただひたすらこの状況を噛み締めていた。
 背高い。足長い。顔ちっちゃい。スタイル良すぎる。顔が良すぎる。かっこよすぎる。こんなのもう二次元じゃん……!!
 メイクや衣装を脱いで、画面の中から出てきたら、案外普通の人なんじゃないかという邪推も頭のどこかにはあった。でもそんな想像はぽっきりとへし折られた。むしろ全くの逆。一般人の中に下りてくると、存在の質が明らかに桁違いなのがよく分かる。画面越しで見るよりずっときれいで、かっこよくて、眩しくて、ああ、俺の中にある言葉で表現するとどうしても安っぽくなるのががもどかしい。とにかく同じ次元に生きているとは思えなかった。もしかすると、本当に人の形をした神様なんじゃないだろうか。
 大人達が順番に挨拶をしていく。テレビ局の偉い人とか、ダンスの先生とか、作曲家さんとか、イベントのプロデューサーさんとか。他の子達がざわついていたから、有名な人ばかりなんだと思う。でももう俺の意識はソコには無かった。
「社長の一色紅でーす。よろしくな~♡」
 最後に軽い調子でそう言って、ひらひらと手を振る紅の姿だけで胸がいっぱいになった。感極まって泣きそうだ。うわぁ、うわあぁ……動いてる、喋ってる、本物だあぁ……!
「んじゃ、ソッチの端から。名前言って、意気込みと、課題のパフォーマンスよろしく~」
「はい! 篠田倫太郎です! 両親が紅さんの大ファンで、俺も小さい頃から……」
 指をさされた通りに右端の子が立ち上がり、大きな声で元気よく名前と意気込みを述べ始めた。その志望動機はまるでお手本のようで、しかも物心ついた頃から歌と踊りが好きだったらしい。紅はそんな彼の様子を、腕を組んだり、首を傾けたり、頬杖をついたりしながら、ただじいっと眺めている。他の大人達はたまに視線を外してメモをする様子もあるのだが、紅にはそれすらない。
(噓でしょ……あんなにじっと見るものなの……!?)
 紅の姿を目に焼き付けておきたいのに、着々とオーディションが進むにつれ、俺は緊張でそれどころじゃあなくなり始めていた。
 あんなに熱意を持って上手にパフォーマンスするような子の中に紛れて、自分は一体何をしているのだろうか。紅に会いたい。そんなファン根性だけで来ていい場所じゃなかった事を、この期に及んでまざまざと再確認させられた。目の前には、有名な審査員の先生と、他の追随を許さぬまま引退したトップアイドル。あの人達に向けて満足な事が語れるとも、満足なパフォーマンスが出来るとも到底思えない。
 俺の番が、一人、また一人と近づいてくる。
 心臓の音が煩い。口から飛び出そう。この部屋に居る皆に、脈拍が聞こえてしまうんじゃないかと心配になる。落ち着け自分。下手でもいい。最低限こなせれば十分だ。平常心。平常心。名前と、意気込みと、ずっと練習してきた課題。うん、言える。出来る。大丈夫。大丈夫だ。
「じゃあ、次」
 そしていよいよ、紅の視線が俺を捉えた。画面越しではない生の青色に射抜かれて……呼吸が戦慄いた。
 あの一色紅が、ずっと会いたくてたまらなかった幻のアイドルが、神様が、今、この瞬間、俺の事だけを見てる。今度はファン心理の錯覚なんかじゃない。確かに、俺は今紅と目が合っている。その情報が脳に届けられた瞬間に、繰り返し唱えていた段取り全てが吹っ飛んだ。
「会いたかったですっ!!」
 ガタンッ!! 俺の立ち上がる勢いで椅子が悲鳴を上げた。
「俺っ、紅さんに会いたかったんです!! オーディション受ければ、最終選考まで残れば、紅さんに会えるかなってっ……!! 紅さんの事、ホントはずっと大好きだったのに、なんか見栄張って、ライブとか、全然行けなくてえっ!! ひっ、く……その間に、紅さん引退しちゃって、もう会えなくなっちゃってぇ……! おれぇ、すっごく、後悔してえぇッ……!!」
 アイドルとしての意気込みを聞かれてんのに、そんなのお構いなしで涙をボロボロ零しながら思いの丈をぶちまける俺の口。オーディション用のそれらしい返答は用意していたはずなのに、いざ紅さんを前にすると、口先だけの言葉なんかとても出てこなかった。
「でもどうしても会いたかった! 紅さんに会いたかった! オーディション受けてでもあなたに会いたかったんです!! 今度は後悔したくなかった! 紅さんに会える手段があるならっ! 俺ッ! どんな事であってもそれに賭けてみたかったんですっ!! あなたに会うためにここまで来ましたっ!! ただあなたに会いたかったんですッッ!!!!」
 自分でも驚く程の声量でぶちまけて、肺の中が空っぽになった。ひゅっ。体が慌てて酸素を吸い込む音がする。
「っ……ごめんなさい……!! こんな理由でっ、オーディション受けて……ごめんなさいぃ……っ!!」
 それっきり言葉が出なくなってしまい、俺は嗚咽を零しながら下を向くだけになった。他の参加者も関係者の大人達も、いきなりの事に目を丸くして、どうしたらいいのか分からない様子でチラチラと顔を見合わせている。
「おいテメェ」
 紅さんの低い声が沈黙を破り、椅子を引いて立ち上がる音がした。そして、俺の方に、足音が近づいてくる。
 ふざけんなって怒られるかもしれない。子供の遊びじゃないんだよって。今すぐ出てけって。オーラにすっかり飲まれていた俺は、一発ぶたれるぐらいの覚悟をして、ぎゅっと目を閉じ、歯を食いしばった。
「……何でそんな似合わねぇ恰好してんだ?」
「……へ……?」
 しかし次に来たのは、純粋な疑問符を湛えた言葉だった。恐る恐る目を開けると、あろう事か、紅さんが俺の顔をしげしげと覗き込んでいた。超至近距離での神のご尊顔。あまりの出来事に一瞬くらりと意識が遠のいて、冗談抜きで気絶するかと思った。
 指先が、俺の髪を一束掬い取る。
「コレ地毛の色じゃねぇだろ? 睫毛と色が違ェ」
「あっ! え、えと! そのッ……!!」
 やばいやばいやばい近い近い近いむりむりむりむりむりっっっ!!!!! 目が美しすぎるカッコよすぎる尊すぎるっていうかなんかすっごいいい匂いする!? 煙草の匂いするのにそれ以上に謎のすっごいいい匂いする!! 行った事ないけど綺麗なお姉さんの部屋みたいな匂いするうっ!!!
「お、俺っ……! はっ、肌も、髪も、すごく白くて、変だから……え、えっと……! す、す、少しでも、皆と一緒になるように、染めてますッ……!」
「…………」
 ぐるぐると目を回しながら、それでも必死に意識を保って質問に答えた。すると紅さんが息を呑み、目が驚きに見開かれていった。再度、俺の頭からつま先まで、視線が滑ってくる。
「書類選考の時から今までずっとか?」
「はっ、はい!」
「この肌色と目の色も生まれつきなんだな?」
「そ、そうですっ!」
「地毛はどんな色だ?」
「し、白髪……? っていうか……うすい、金色、みたいな……?」
 唖然とした様子で紅さんが固まった。俺もどうしたらいいか分からず固まった。たっぷりそのまま十秒程、お見合いを続けた後、目の前の唇が弧を描いていく。
「よし」
 両肩に、ぱしんと紅さんの手のひらが乗せられた。
「とりあえずお前合格な。今から俺と一緒に来い」
「へッ!!!!????」
 合格? 今合格って言った? 合格したの? 俺が!? 何で!?
 俺のみならず、他審査員にも参加者にも、一斉に動揺が広がっていった。だけどそんな空気をものともせず、紅さんは俺の腕を引っ張って、意気揚々と扉の方へと向かっていく。
「しゃ、社長!」
「待って下さい! 私たちの審査や今後の方向性も加味してお考え頂かないと!」
「そうやっていつもいつも直感のみで動かれては困ります!」
「それにここでの言動は親御さんにも伝わります! 一人だけ特別扱いしたとなれば、また問題視されて要らぬ波風が……」
「俺の会社だぜ?」
 口々に警鐘を鳴らす大人達に向かって、紅さんがぴしゃりと一言。
「俺が決める。ただの客寄せパンダが欲しいなら他当たれや」
 低い声で放たれた言葉に対し、全員バツが悪そうな顔をして押し黙った。偉い人達に向けられた表情は、どこか怒りを孕んでいるようにも見えた。
 だけどそれも一瞬の事。紅さんはすぐに元の軽い空気を身に纏い、参加者に向けて顔の前で手のひらを立てる。
「この後控えてる奴らはごめんな~。紅さん、ちょ~っと用事出来ちまったわ。コレ録画してっから、後でじっくり見させて貰うぜ~♡」
 こうして俺は事態を飲み込む暇も与えられぬまま、紅さんに連行される事となった。

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