小説

ブループリントシンデレラ

letm_official

再会


 そこにあったのはこぢんまりとした店構えのヘアサロンだった。中に入ると出迎えてくれたのは、褐色の肌にピンク髪の、背の高い男の人……女の人? だ。
「おっすミラ~、ワリィな突然」
「もう水臭い事言わないのっ♡ 紅ちゃんの頼みだもの~断るワケないじゃな~い♡」
 まるで舞台に立つような綺麗なお化粧をして、ミニスカートにピンヒールを履いているその人は、迷うことなく紅さんの肩にしな垂れ体を密着させた。長身な上にヒールの高さも相まって、同じく背が高いはずの紅さんよりも随分と頭が上にある。まさに圧巻の一言だ。そして、こんなに大きな人にべたべたされているというのに、紅さんも紅さんで怯む事なく頬を撫でながら何やらいい雰囲気……。一体何が起こっているんだろう……その空気に全くついていけない俺は、二人の脇でただただ呆然と眺めている事しか出来なかった。
「あらっ、この子がその原石ちゃん? やーん可愛い~~~♡♡ さっすが紅ちゃん、見る目あるわ~~~♡ どうもはじめましてっ。ミランダですっ♡」
「あ、あ……こ、こんにちは……水方ユキです……」
 ミランダと名乗ったその人が右手を差し出してきたので、俺も挨拶をして手を結んだ。ちなみに言うと、ミランダさんは手のひらもすっごく大きかった。
「コイツずっと髪染めてたらしいんだわ。元の色まで綺麗に抜けるかい?」
 親指で俺の事を差しながらの問いかけに、ミランダさんが不敵に笑う。
「こちとら何年芸能人の駆け込み寺やってると思ってんの? バカにしてもらっちゃ困るわ~♡」
「そう言ってくれると思ったぜ。いつも頼りにしてんぜミーラ♡」
「んもうっ、上手なんだからぁん♡ アッチの方だっていつでも頼ってくれていいのよぉん♡」
 二人のやりとりに呆気にとられているうちに、あれよあれよと椅子に座らされ、ケープをかけられる。その段階になって俺はようやく、車の中からずっと有耶無耶にされ続けた「髪の色を戻す」というのっぴきならない事態を再インストールした。
「……えっ……ええっ!? ほんとに抜くんですか!? 今!? いきなり!?」
「だから抜くっつってんだろ何回同じ事言わせんだ」
「きょっ、今日じゃなくてよくないですか!? だって仮にアイドルやるとしてもまだ先の話ですよね!? まだオーディション終わっただけですよね!?」
「遅かれ早かれ抜くんなら今日でいいだろうが。こういうのは思い立ったが吉日なんだよ」
「でもっ、でもっ!! でもやっぱ俺、明日も学校行かなきゃダメだし! いきなり色変えたらヘンな噂立っちゃうかもだからもうしばらくはこのままで……えっ!? 長さも切るのっ!? ちょっと待って! 相談! 一旦相談させて……!!」
「あーもううっせぇうっせぇうっせええええッッ!!!!」
 往生際の悪い俺の言葉を、まるで咆哮のような大声が遮った。キィン……と、残響を残して、場に沈黙を連れてくる。
「いいかユキ!! テメェはこれから世界を魅了するアイドルになるんだよ!! ソイツがコソコソ自分を偽ったままで誰の心に何が届けられるってんだ!? テメェの生まれ持った魅力を! 素材の良さを! 余す事なく全世界に見せつけるそれがこの先テメェがすべき事だ!! いいから黙って俺の言う事を信じてみやがれ!! それともテメェは俺が信じられねぇか!? アイドルになんのやめるか!? どうなんだ!? ア!?」
「あ……ぅ……」
 いきなり目の前で怒鳴られて、怖くてすくみ上った……という表現には語弊がある。
 紅さんが本気で何かを語るエネルギーは、目の前で浴びるにはあまりに凄まじすぎた。生命力というか、力強さというか、とにかく彼の存在感に空間全部が飲み込まれて、声どころか呼吸まで取り上げられた。
 固まってしまった俺を見かねたのか、ミランダさんが「紅ちゃん、子供相手にいきなりその圧で迫るの可哀想よお」と、助け船を出してくれた。そのおかげで、ほんの少しだけ場の空気が和らいで、息がしやすくなる。
「……ほ、ほんとに……俺なんかが、アイドルに、なれますか……?」
 やっとの思いでそれだけ口にすると、紅さんが青い目を細めた。それは笑うでもなく、怒るでもなく、まるで俺の内側を覗き込んでいるような不思議な表情だった。
「それはテメェが決める事だ」
「は……!?」
 意味が分からなかった。何で、どうして、だって今、信じてみろって……。
「なるか、ならないか、最後の決断をするのは他の誰かじゃねぇ。テメェ自身だ。だから選べ。テメェが決めた通りになる。世界を沸かせるトップアイドルになんのか、それとも明日からも今まで通り、学校でバカにされないための自分で居続けるのか……。選べ」
 俺が、選ぶ。俺が、決める。紅さんにすら、決めて貰えない。何のガイドもない選択を迫られて、そこでようやく俺はハッとした。
 決めて貰えない事が怖かった。なれるならなれる、なれないならなれないって、誰かに言って欲しかった。その方が楽だから。傷つかないから。決められた事を、皆と同じようにやっておけば、それが一番安心だから。
 ……うまくいかなかったら、誰かのせいに、出来るから。
 そうやって俺は、無意識のうちに、色んな事から逃げていた。
 でもこの場では他の誰も決めてくれない。誰も助けてくれない。誰のせいにもできない。俺が決めるしかない。自分の頭で、自分はどうしたいか考えるしかない。
(俺が決めた通りになる……?)
 もし本当にそうだとしたら、俺は、本当は、どうしたいのか。
 世界を沸かせるトップアイドルだなんて、そんな今の自分とかけ離れすぎた事を言われたって、現実味が無さ過ぎて想像すら出来ない。
 ただ、吸い込まれそうなディープブルーの中には、真実しか映っていなかった。この人はきっと、本気で言っているんだと思った。俺には見えない事も、知らない事も、きっとこの人は知っている。もしかしたら本当に、俺がそういう風になる未来が、紅さんには見えているのかもしれない。
 そして何より、俺がその未来を選べば……もう少し紅さんの傍に居られるのかもしれない。それが一番大きな決め手だった。
「ぁ……アイドルに……なり、ます……」
 自信なんて全然ないけど、震える声で絞り出す。その答えを受けて、紅さんがもう一度、目を細めた。今度は楽しそうに、悪戯っぽく。
「決まりだな」
 それはまるで、本当に神様が何かを決めてしまったような言い方だった。もう逃げられないぞ、覚悟しとけよ。そんな風にも聞こえた。
 怖かった。ゾクゾクした。先が見えないジェットコースターに、安全ベルト無しで乗せられた気分。もしかしたら俺はとんでもない選択をしてしまったんじゃないだろうか。方向を間違ったんじゃないだろうか。恐怖が反射的に沸き上がってきた。
 でも……何だろう。それとは別に、体の内側がビリビリ震えてる。怖いんじゃない。もっと別の何かで震えてる。俺の知ってる言葉では表現できない。どうしようもなく、細胞一つ一つが高揚している。
 俺、どうしちゃったんだろう。
「よーしミランダ! 未来のトップアイドルに、いっちゃんいいヤツぶち込んでやれや!」
「了解よぉん♡」
 
 以降、俺は鏡を見せて貰えなかった。何が起きているか分からないまま、楽しそうなミランダさんにハサミを入れられて、髪の色を抜かれ、トリートメントをされた。
 さらに紅さんはと言えば、いつの間にかどこからか、なんと衣装まで手配していた。中学生が作った演劇の衣装なんて比べ物にならない、テレビで見る本物のアイドルが着ているようなヤツ。キラキラして、華やかで、本当に王子様みたいな衣装。それを着ろと押し付けてきたのだ。
 自分に似合うなんてとても思えなかった。でも、髪の色を抜かれてしまったこの時の俺は、ちょっと身の程知らずな衣装を着るくらいなら許容出来てしまった。ある意味怖い物が無くなっていたのだ。
 俺は二人にされるがまま、着せ替え人形のように袖を通した。ここまで来たらどうにでもなれ。そんな気分で。
 
 そして全てが終わった後、俺は、四角く垂れた布の前に立たされていた。
「おら背筋伸ばせ。しっかり前見ろ。オドオドすんな」
「はッ、い……!」
 背中を叩かれて、胸の前でもじもじと弄っていた両手を気をつけさせられる。姿勢を正させて納得した様子の紅さんは、俺から離れ、布の端を掴んでにやりと笑った。
「ユキ、これがテメェの本来あるべき姿だ」
 一気に布が取り去られると、大きな全身鏡が現れた。そしてその中心には、真っ白な王子様が立っていた。
(……俺?)
 顔回りを鬱陶しく隠していたガサガサの髪は、耳が見えるくらいまでカットされ、柔らかなプラチナブロンドがふんわりと頭を覆っている。
 白い肌、淡い金髪、薄い水色の瞳、そしておとぎ話の王子様が着るような、白を基調とした美しい衣装。全てが掛け合わさった透明感が、綺麗とか美しいを通り越して、どこか神々しいとすら感じた。鏡の中のこの人は自分のはずなのに、全く自分だとは思えなくて、抱いた感想は限りなく他人事だった。
「ユキ、お前さっき、自分は変だから少しでも皆と一緒になれるようにって言ったよな?」
「……はい……」
「逆だ。テメェみたく生まれつきトップアイドルみたいな容姿のヤツが、鼻水垂らしたクソガキの中に混ざるから浮いたんだよ。テメェはそれで正解だ。大衆に馴染む凡庸な素材なんざ所詮その程度。世に出ていく才能は、凡人の集団では浮いて然るべきなんだよ」
 煙草をくゆらせ言葉を紡ぎながら、紅さんが俺の下へと歩み寄ってくる。
「テメェの容姿は大衆に溶け込むにはあまりに美し過ぎた。これが、お前の身に起こった事の真実だ」
 改めて隣に並んで伝えてくれた言葉は、嬉しかったような気はしたけれど、でもずっと握りしめていた認識とかけ離れすぎていて、今の俺の心ではまだ受け止めきれなかった。
 ただやっぱり、俺は自分のこの色が好きだと思った。もう一度見られて嬉しかった。小学校からずっと染め続けていて、久しぶりに会えた俺の色。目頭が熱くなって、気づけばぽろぽろ涙が溢れていた。嬉しい、嬉しい、って、心が泣いているのが分かった。
「……おれ……ちいさいころ、しろくて、オバケみたいって、いわれてっ……からかわれて……! すごく悲しかったあぁ……! 俺、自分の髪、大好きだったのにっ……! お母さんも、お父さんも、綺麗だねって凄く褒めてくれてたのにぃ……!! 俺ってダメなのかなって……っ……おれぇっ! 自分の事好きになっちゃ、ダメなんだって思ってぇ……!!」
 涙を零す俺の隣で、紅さんは何かを思い出すように遠くを眺めながら、煙草の煙を吐き出した。
「……凡人ってのはな、自分の物差しに収まらねぇモンが怖ェから、異常だとか、可哀想だとか言って、集団で後ろ指差して安心してるような生き物なんだよ。好きにやらせとけ。でもな、そんなもんを気にしてテメェが凡人の中に隠れてるのは頂けねぇな。そのキレーな見た目でこの先幸せに出来るヤツが沢山居るはずなのに、チャンスをみすみす奪ってるって事じゃねぇか」
 身を屈めた紅さんの手のひらが、そっと頬を包み込む。何もかもを受け入れる海のような色の瞳が、心の中を覗き込んでくる。
「ユキ、いいか? 俺の目をよーく見ろ?」
 深くて優しい碧色は、言われなくても目を逸らせなくなるくらいに、美しかった。
「今から俺が、テメェの呪いを解いてやる」
 さらに顔が近づいて、視界いっぱいに、紅さんの瞳が映り込む。睫毛が触れる。吐息を感じる。お互いの鼓動すら、聞こえてしまいそうだ。
「……お前は真っ白で綺麗だよ、ユキ」
 薄皮一枚挟んだ程の至近距離で、低く、慈しむように、俺の中へと言葉が吹き込まれた。その瞬間、俺と紅さんを中心にして、ぶわりと世界に色が広がっていった。実際はそんな事ない。元々世界に色はあった。でもこの時の感覚は、もうそうとしか表現出来なかった。
 
 たった一言だ。
 時間にして、五秒にも満たないだろう。
 
 だけどその一瞬は、まるで温かな夢のようだった。今まで当たり前だと思って生きてきた、思い込みや、概念や、価値観。それらがふわりと氷解していくような、心の中で何かが手放せたような、不思議な感覚があった。
 
 するりと手が離れていく。その感覚に気付けされるように、はっと俺の意識も現実へと戻ってきた。目の前には楽しそうな紅さんの顔。そしてこの距離感……。
「え……へっ……? 今、何……したんですか……?」
 いきなりこの状況にもリアリティが戻ってきて、心臓が一気に高鳴り始める。顔に熱が登って行って、目の前がぐるぐるした。肌色のせいで、俺は赤くなるとすぐにバレてしまう。勿論紅さんにも筒抜けだろう。
「王子様のキス~♡」
 王子様というよりは悪役みたいな笑顔で吐かれたセリフに、いよいよ頭から煙が噴き出した。
「きっ……き、き、き、きすうっ!? 違うっ! 違いますよね!? 触ってませんよね!? ねぇミランダさん! 今の触ってませんよね!?」
「キスの一つくらいで何騒いでんだよ。もしかしてテメ中坊にもなって童貞か?」
「うえッ!?」
「ちょっと紅ちゃ~ん。世の中全員がアンタみたいに爛れてるわけじゃないのよ~? 普通の中学生のお付き合いなんてせいぜいキスまでよ~ん♡ あ~ん、甘酸っぱいっ♡」
「嘘だろおい。キスしたらそのままハメたくなんだろ。今時の男子中学生我慢強すぎねぇ? ちゃんとちんこ付いてる?」
 っていうか俺……ファーストキスだったのに!! 酷い! 何でこんな事するんだよ!! いたいけな中学生の純情を何だと思ってるんだ!! ファーストキスが大好きなアイドルに奪われて嬉しいなんて喜ぶと思うなよ!! いくら何でも男はやだ!! 女の子とがいい!! ……い、いくら紅様だとはいえ……男にキスされて……う、嬉しくなんてないんだからな!!
「だーいじょうぶよん♡ マウストゥマウスはしてないから安心しなさい♡ 紅ちゃん、そういうほんとにダメなラインだけは弁えてるから♡」
 赤くなったり青くなったりしている俺の肩を、ミランダさんがぽんぽんと叩いた。何だよやっぱり触ってなかったんじゃん! 良かったぁ……。一瞬本気でファーストキスが紅さんになったのかと思った……! ……ならなくて良かった、ん……だよな? うん……残念じゃない。多分……。
 そんな風に複雑な思いを抱えて悶々としていると、紅さんがスマホに目をやり、あっと声を上げた。
「俺そろそろ行かにゃならんわ」
「あら、空君の事?」
「まぁそんなトコ。じゃ、ユキ。正式な契約に関しては後日また改めて連絡するんでよろしくぅ。衣装はミラに渡してそのまま帰ればいいぜ。あ、あとこれ家までのタクシー代な」
「え? あ、は、はい……」
 矢継ぎ早に説明した紅さんは、俺の手のひらに一万円札を数枚握らせてきた。ビックリして、こんなに貰えませんって言おうとした瞬間、唇をそっと人差し指で塞がれる。
「気ィつけて帰れよ♡」
「……!!」
 その時の笑顔に目を奪われた。まさにいつも画面越しに見ていた、ステージ上の一色紅そのものだったからだ。もうどこに行っても生で拝む事の出来ないアイドルが、今確かに、俺の目の前に現れたのだ。足のつま先から頭の天辺まで鳥肌が止まらない。あまりの感激に目が潤み、頬が高揚し、心の裏側がきゅんと音を立てた。
「……一生推します! 引退しても、これからもずっと!!」
「あはっ♡ ありがと~ユキちゃん愛してるぜ〜♡」
 軽やかにターンをし、流れるようにポーズを取ってから、ウインクと投げキスを一つ。いつもステージでやってたヤツだ! まさかこの目で見られる日が来るなんて!! おかしな表現だけど、この人本当の本当に、あの一色紅張本人なんだ!!
 規格外のファンサービスに、もう俺は声も出せずに戦慄く事しか出来なかった。そんな俺を嬉しそうに見やってから、紅さんはひらひらと手を振りつつ店を後にした。
「「かっこいい……!!」」
 静かになった店内で、俺とミランダさんのうっとりとした呟きが重なったのだった。

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