干支桃源郷物語
第三話
目の前に広がる光景に、ユキは愕然と立ち尽くしました。
花冠が完成し、さあ紅に渡そうとその姿を探していた時の事です。不穏な気配を感じました。動物の第六感のようなものでした。
からりと晴れた桃源郷の空で、何故か一か所だけ、不吉を象徴するかのように暗雲が立ち込めています。桃源郷と人間界の境目の方向です。胸騒ぎを感じながらそちらへと足を伸ばし、そっと様子を伺うと……ボロボロになって横たわる紅の周りを、人間の男達が取り囲んでいました。
「案外楽しめたなぁ。これからどうする?」「街の方に持ってきゃいい見せ物になるだろ」「そんで使い潰したら捌いて売りゃあいい。龍の角や肉は高く売れるぞ」
紅の体を足で転がして、げらげらと笑いながらとんでもない算段を立てる人間達。明らかに暴力を振るわれて、凌辱された形跡のある想い人。頭を横からガツンと殴られたような衝撃が走り、地面が足元から崩れ落ちるかと思いました。
「あんたら……あんたら何やってんだよッッ!!」
気付けば勝手に体が動いていました。物陰から飛び出したユキは、人間達に掴みかかり、紅から引き剥がそうとしました。
「あ? 何だこのウサギは」
しかしユキはそもそもが非力なウサギの上、多勢に無勢のこの状況。逆に首根っこを掴まれて、地面に投げ捨てられてしまいます。
「紅さんに触るな! その人が誰だか分かってんのか!? その人は桃源郷の……」
「ああ分かってるさ。干支だの何だののまやかしで信心を煽って、人肉をせびる人喰い龍だろ?」
歪んだ笑みとその物言いで、さらにユキの頭に血がのぼります。
「そんな事する人じゃない!! お前らに何が分かるんだッ!!」
がむしゃらに人間達を掻き分けて、紅を守るように覆いかぶさります。折角龍に制裁を加えていい気分だったのに、鬱陶しい小動物の邪魔が入り、人間達は面白くありません。頭や背中に靴底を叩きつけ、容赦なく蹴りを見舞いはじめます。
「お前こそ何が分かるんだ!! こいつが俺達に見せた恐ろしい姿をお前は知っているのか!? あれはまさに人を喰う龍の姿だったぞ!!」
「ソイツは自分がした事に対しての報いを受けただけだ!! 自業自得だ!!」
「邪魔するなこのチビウサギが! 殴り殺して丸焼きにしちまうぞ!!」
ユキがかばう紅の体は異常なまでに熱を持っていました。着物は乱れて破かれて、覗く肌にはいくつもの切り傷や打撲痕が痛々しく残されています。そもそも人間の力で龍に傷を負わせるなど難しいはずなのに、一体どういう事でしょうか。それに加えてこの全身にこびりつく、繁殖期の雄に群れられたような臭い……。何をされたのかなんてもう察しもつけたくありませんが、とにかく今自分がここを動けば紅は連れ去られ、さらに酷い目に合わされるという事は容易に想像が出来ました。
(守らなきゃ、守らなきゃ! 俺が、守らなきゃ……!!)
袋叩きにあう痛みに耐えながら、ユキは必死に紅を抱きかかえます。紅に渡すはずだったシロツメクサの冠が、着物の袖口から零れ落ち、人間に踏みつぶされ見るも無残な姿に汚れていきました。
「あはははっ! いつまでこうしてるつもりだこのチビ!!」
「お前もこの龍と同じ目にあいたいのか!?」
「可愛いウサちゃんはサンドバッグになる趣味があると見えるなぁ!!」
最初こそユキを退かせる事を目的としていた人間達ですが、次第に体を嬲って痛めつける事を楽しみ始めていました。いたずらに龍と交わった事により、その血に少なからずあてられていたのです。興奮が抑えきれず、それをユキという明らかに格下の小動物相手に発散しなければ気が済まない状態でした。
自分達は強いのだ。自分達は正義なのだ。自分達を邪魔するこのウサギは、何をされても文句は言えないはずだ。一時の優越感は、理性を奪い、正常な判断能力を奪い、人間の弱く醜い部分を浮き彫りにしていました。
(守らなきゃ、だめなのに……ッ)
そしてユキも、いつまでも紅をかばい続けていられるはずもありません。指先の感覚が無くなっていきます。蹴られ続けた頭がぐらぐらと揺れます。視界に自分の血の色が滲んでいます。
(あぁ……俺がもっと、強かったら……)
ユキが自身の非力を嘆きながら、意識を手放そうとした、その時です。
突如頭上より、細かな刃が降り注ぎました。
「ひっ……!?」
ユキ達二人と人間との隙間を縫うようにして、菱形の刃物が地面に突き刺さります。油断しきっていた所への強襲に、人間達は引きつった声を上げて体勢を崩しました。
二人を背にして音もなく影が着地します。尻尾の毛を逆立て、深紫の瞳に怒りを滲ませるは黒虎。その手の中にぎらりと別の刃が光りました。人間に向けて振り抜かれたかぎ爪は、着物を断ち、薄皮一枚を裂いて血を滲ませます。あと少し踏み込まれていれば、肉を断たれていたでしょう。
「……それ以上ユキをいじめたら、殺すぞ」
静かな殺気と底冷えする声が人間達を戦慄させます。虎族、とりわけ黒虎は、龍を除けば桃源郷で一二を争う脅威です。いきなり現れた影縫に恐れおののいた男達は、腰を抜かしながらも手探りで武器を掴もうとしました。ですが、探せど探せど手ごたえがありません。うろたえて振り返った一人の鼻先に、きらりと一閃、別の刃が振り下ろされます。
「探し物はこれか?」
突きつけられた刀身を辿っていくと、萌黄色の瞳が鋭くこちらを見下ろしていました。人間が持ち込んだ武器の一本を携える武蔵です。その背後には、散らばっていた人間達の武器を根こそぎ押収した他の犬族の姿もありました。
さらに、ふわりと優しい温かさがユキと紅を包みます。重たい頭を持ち上げてみれば、月影が、羊毛の毛布で傷ついた二人を包んでいました。
「つき、かげ、さん。くれないさんが……おれ……おれ……」
「うん、うん。もう大丈夫。あとは皆に任せて」
状況を説明しなければと思うのに、頭は回らず、口からまともに言葉が出て来ません。
温かい羊毛と優しい匂いにくるまれて、今度こそ、ユキの意識は沈んでいきました。